CYCLE CINEMA⑯
『男はつらいよ 寅次郎頑張れ!』

「あの映画を観ていないと、人生を損している」。そんなふうに語る人がいる。趣味は人それぞれだし、どんな映画を観るかは本人の自由だ。だけど『男はつらいよ』シリーズをまだ観ていない人には、そっと背中を押したくなる。「一度観てみても、いいんじゃないかな」と。あの作品には、日本の喜劇のエッセンスがぎっしり詰まっている。

主人公は、葛飾・柴又生まれの寅さん(渥美清)。口は悪いが人情に厚く、困っている人を見過ごせない性分。生業は露天商で、いわば風来坊だ。だが、柴又には団子屋「とらや」を営む親戚がおり、妹のさくら(倍賞千恵子)もそこで働いている。寅さんは年に何度か、ふらりと「とらや」へ帰ってくる。

そのたびに、騒動が起こる。家族やご近所を巻き込んだドタバタ劇は、笑いと涙を連れてやってくる。そして、もうひとつの見どころが、作品ごとに登場するマドンナたち(吉永小百合、浅丘ルリ子、大原麗子、いしだあゆみ!)。寅さんは毎回、ピュアな心で恋に落ちる。でも、結末は決まっている。彼は振られ、また旅に出るのだ。この「出会いと別れ」の繰り返しが、シリーズ全体をひとつの壮大な“失恋の叙事詩”にしている。

寅さんは運転免許を持っていないので、移動手段は列車か徒歩。そして、時には自転車にも乗る。とはいえ、それはたいてい人から借りたもの。サイズが合わないせいか、がにまたで漕ぎながら、流行歌を口ずさむ。格好いいおっさんだ。

『男はつらいよ 寅次郎頑張れ!』(1977年、山田洋次監督)は、そんな寅さんが「恋の指南役」として奮闘する一本。若い男女の恋を応援しようと立ち回るうちに、いつの間にか自分も恋に落ちてしまうという寅さんらしい展開だ。

舞台のはじまりはいつもの柴又。
「とらや」に下宿する青年・良介(中村雅俊)と、近所の食堂で働く幸子(大竹しのぶ)の恋に、寅さんが首を突っ込むところから物語は動き出す(大竹しのぶの秋田訛りがすばらしい)。しかし、恋に不器用な良介のせいで話はこじれ、彼は勝手に失恋したと思い込み、ガス自殺未遂を起こし、故郷の平戸島へ戻ってしまう。

寅さんは彼を心配して、後を追う。そこで出会ったのが、良介の姉・藤子(藤村志保)。彼女に一目惚れした寅さんは、そのまま藤子の営む雑貨屋兼レンタサイクル店で働くことになる。

本作における自転車の登場時間は短い。しかし、印象深い。平戸の海と坂を背景に、寅さんが「憧れのハワイ航路」を口ずさみながら自転車で走る。その表情がいい。早朝の仕入れ帰り、颯爽とペダルを踏む彼の姿には、どこか新しい日常を楽しんでいるような明るさがある。

藤子の案内で、ザビエル記念聖堂やオランダ塀を歩きながら、二人の距離も縮まっていく。今回こそ、寅さんが結婚するかも……と思わせるが、やっぱりそうはいかない。彼は、またひとり旅に出る。一方、ラストでは、良介が幸子を連れて柴又に戻ってくる。二人は、もしかしたら藤子と一緒にレンタサイクル店を継ぐのかもしれない。そんな余韻を残しながら、物語は静かに終わる。

寅さんはまた旅に出る。平戸の美しい坂道と、あの数日間を胸に、自転車を操りながら。露天商という仕事は、まさに自転車操業そのもの。売って、笑って、恋をして、振られる。でもまた、前へ進む。この繰り返しである『男はつらいよ』を「マンネリ」と呼ぶ人もいる。けれど、酒を飲み、旅をして、人のために汗をかき、ときに恋をする人生に、何の不満があるだろう。マンネリ万歳だ。食わず嫌いの人も、ぜひ一度『男はつらいよ』を観てみてほしい。どの話からでもかまわない。きっと、人生に少しだけ、笑いと優しさが増えるはずだ。もしかすると、あなたも自転車を漕ぎながら流行歌を口ずさむようになるかもしれない。

Text_井上英樹/Hideki Inoue


🎬CYCLE CINEMA STORAGE🎬
#01 “自転車泥棒”
#02 “プロジェクトA”
#03 “明日に向かって撃て!”
#04 “少年と自転車”
#05 “居酒屋兆治”
#06 “ニュー・シネマ・パラダイス”
#07 “キッズ リターン”
#08 “PERFECT DAYS”
#09 “クレイマー、クレイマー”
#10 “E.T.”
#11 “ガチ星”
#12 “イエスタデイ”
#13 “少女は自転車にのって”
#14 “関心領域”
#15 “アンゼルム”
#16 “男はつらいよ”

Profile

Text_井上英樹/Hideki Inoue
兵庫県尼崎市出身。ライター、編集者。趣味は温浴とスキーと釣り。縁はないけど勝手に滋賀県研究を行っている。1カ所に留まる釣りではなく、積極的に足を使って移動する釣りのスタイル「ランガン」(RUN&GUN)が好み。このスタイルに自転車を用いようと、自転車を運搬する為に車を購入した(本末転倒)。

Illusutration_Michiharu Saotome

CULTURE
CYCLE CINEMA⑦
『キッズ・リターン』
闇の先に向かってペダルを踏み続けよ

北野武監督作品はヤクザ映画の印象が強い。『その男、凶暴につき』や『アウトレイジ』の影響だろうか。が、そのラインナップを見てみると、バイオレンス作品に挟まれながら『あの夏、いちばん静かな海。』『菊次郎の夏』『座頭市』などの多様なスタイルの作品を生み出していることがわかる。北野武監督はコメディアンであるビートたけしと共に静と動という両極を描くことのできる監督だ。多様な作品群のなかでもボクシングを題材とした『キッズ・リターン』(1996年)は異色の作品だといえる。スポーツ映画、青春劇、喜劇、悲劇、ヤクザ映画など、観る人や世代、背景によって主となるテーマの捉え方が変わるのだ。

#Column #Cinema
CULTURE
CYCLE CINEMA④
『少年と自転車』
父に捨てられた少年は自転車に乗り希望を探す

『少年と自転車』(2012年、ダルデンヌ兄弟監督)はその名の通り、少年と自転車が物語の中心となって話が進む。主人公はベルギーの児童養護施設で暮らしている少年シリル。ある日、父との携帯電話が不通になってしまう。アパートの管理人に連絡をしても「引越しした」と言う。信じられるわけがない。息子に黙って引っ越すなんて。しかも、大切な移動手段である自転車は父のアパートに置いたままだ。シリルは施設を逃げ出し、部屋を訪れるが、管理人が言う通り引っ越した後だった。自転車も見当たらない。シリルは父に捨てられたのだ。

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