和歌山県サイクリング紀行
〜山と海を巡る2泊3日の旅〜(前編)

愛媛県在住の僕と高知県在住の小嶋君。既婚者同士、普段は時間に追われがちな僕たち。「たまには羽を伸ばそう」——そんな何気ない一言から始まった2泊3日のサイクリング旅行。

選んだのは、四国からのアクセスの良さと紀伊半島の豊かな自然を兼ね備えた和歌山県。1日目は有田川町から行く避暑地、生石高原への山岳ルート。2日目は日高・白崎のリアス式海岸の絶景を狙う。和歌山の美しい山と海を2泊3日に凝縮した、野心的なプランだ。
このエリアは、徳島港と和歌山港を結ぶ南海フェリーのおかげで、僕たちにとってはけっこう身近な存在。関西国際空港からも車で約1時間半という立地なので、海外からの旅行者や関東圏の人にも十分射程圏内のはず。

とはいえ、愛媛と高知から向かうには移動時間が6時間ほど。さすがに当日入りは無謀ということで、金曜日の午後から出発し、前泊することにした。
金曜日の移動日を経て、土曜日からサイクリングを楽しむ。

Text_Ryuji Ise
Photo_Tatz Shimizu

一日目:有田川町からの山岳ルート〜関西随一のススキ草原の名所、生石高原へ〜

コース概要
起点:有田川町「TADONO the bedroom」
ルート:有田川町→生石高原→「赤玉わさび寿司」→「あらぎ島」棚田→カフェ「kado」→国道480号線経由で宿へ
総距離:75.33km
タイム:3時間39分
獲得標高:1,197m
特徴:山岳部での厳しい登りと高原での涼、帰路での爽快な下り坂を楽しむ

和歌山サイクリング一日目を迎えるための宿泊先は有田川町の「TADONO the bedroom」。閉所となった保育所をリノベーションしたこの宿は2023年にオープンした話題の施設だ。ガラス張りの長い廊下や『ばら組』『もも組』などのクラス名が書かれた札に保育所としての面影が残り、モダンなインテリアとの組み合わせが洗練された空間に生まれ変わっている。

ここを拠点に、一日目最初の目的地である生石(おいし)高原に向けて出発した。今年は梅雨明けが例年より早い。この日も朝からジリジリと日差しが強く「今日はヤバそうだな」と覚悟を決めてペダルを踏み始めた。

目次

1. 川辺の癒しと想定外の試練
2. 思わぬ出会い
3. 迷ったら険しい方を行く
4. 先入観を覆す味覚の発見〜「赤玉」のわさび寿司
5. 日本の原風景〜「あらぎ島」の棚田
6. カフェ「kado」での山椒体験
7. 復路は一転〜有田川沿いの快適ダウンヒル
8. 川辺で蘇る夏の記憶
9. 一日の終わりに味わう達成感

1. 川辺の癒しと想定外の試練

有田川町の市街地を抜け、しばらく走ると清らかな川のせせらぎが耳に届いた。道端に目をやると、陽光を浴びて輝く美しい川がそこにあった。これは有田川の上流域で、高野山系から流れ下る清流として知られている。あまりの暑さに誘われるように川辺で行水を始める。計画になかった即興の涼、これこそが時間に追われない大人の贅沢だ。

生石高原に向かう道のりは想像以上の試練だった。延々と続く上り坂が僕らの脚を容赦なく削り取っていく。人も車もあまり通らない上り坂を淡々と走り続ける二人。僕も小嶋君も会話はほとんどなかったが、無言の時間が妙に心地よい。ペダルを回すリズムと鼓動が重なり、茂る木々が徐々に減って視界が開けてきた頃、厳しい上りが贈ってくれる至福の瞬間を迎えていた。そして、ついに到着した生石高原。

標高は870メートルの高原には、都市部の喧騒とは対極の、穏やかで贅沢な時間が流れる。緑の絨毯が広がる草原では、カップルがピクニックを楽しみ、家族連れがバーベキューに興じている。空では愛好家たちのRCプレーンが優雅に舞い踊り、それぞれが思い思いの休日を満喫していた。


2. 思わぬ出会い

軽やかに空を舞うRCプレーンに目を奪われていると、愛好家の一人が自慢の機体を僕たちに持たせてくれた。手入れの行き届いた状態からして、彼らの愛機に捧げる愛情が、僕たちが自転車に向けるそれと全く同じものだと感じた。

驚いたことに、グループの中にかつてシマノ本社で自転車用ブレーキの開発に携わっていた方がいた。堺市に本社を置く世界的自転車部品メーカー、シマノの技術者との偶然の出会いは、サイクリスト冥利に尽きる。我々の自転車を見て声をかけてくれ、馴染み深いシマノ製品について話が弾んだ。

「このブレーキレバーの設計には、実はこんな工夫が…」といった開発秘話を聞けたのは貴重な体験だった。「オタクの血が騒いでるな…」と苦笑いする小嶋氏を横目に、旅先でのこうした偶然の出会いこそが、サイクリングツーリズムの魅力の一つだと実感した。


3. 迷ったら険しい方を行く

生石高原からランチ予定地までは、基本的に下り基調のルート。メインの県道を行くか、あまり使われていない林道を選ぶかで迷ったが、「せっかくなら面白い道を」ということで後者をチョイスした。

道はところどころ荒れていたが、深い緑に包まれた林道は至る所に天然の日陰を提供してくれる。木漏れ日が作る光と影のパターンが神秘的な雰囲気を醸し出し、旅の気分を一層高めてくれた。

「この選択、大正解だったな」と小嶋君と顔を見合わせる。もしパンクでもしていたら後悔していただろうが、結果的に最高の選択となった。


4. 先入観を覆す味覚の発見〜「赤玉」のわさび寿司

わさび寿司が名物である「赤玉」は昭和38年創業の老舗で、清水町(現:有田川町清水)の名物として60年以上愛され続けている。看板メニューのわさび寿司定食を注文。わさびが苦手な筆者は正直なところ気が重かったが、名物ということで勇気を出してチャレンジした。

実際に口にしてみると、予想を大きく裏切る繊細な美味しさに驚愕。「これは…完全に概念が覆された」と、わさびへの固定観念が覆る瞬間だった。このわさび寿司の特徴は、地元で採れる本わさびの葉を使用していることにある。有田川町清水は高野山系の清流に恵まれ、わさび栽培に適した環境が整っている。上品な辛みと甘みを持ち、寿司との相性も抜群だ。

小鉢に並ぶ山菜もそれぞれが丁寧な味付けで、一つ一つが小さな発見をもたらしてくれる。山椒を練り込んだ蕎麦は香り高く、夏の暑さで疲れた体に染み渡るような優しい美味しさだった。


5. 日本の原風景〜「あらぎ島」の棚田

ランチの後は、有田川町の観光名所である「あらぎ島」の棚田を見学。有田川が蛇行して形成した三日月形の島状の地形に、約54枚の棚田が階段状に広がる様子は、自然と人間の英知が調和した芸術作品のようだ。

この棚田は「日本の棚田百選」に選ばれ、 2013年には周囲の景観とともに国の重要文化的景観にも選定されている。春の田植えの季節には水面に青空が映り、秋には黄金色の稲穂が波打つ美しい景観を見せる。近年は高齢化と過疎化により維持が困難になっているが、地元住民と行政、ボランティアの協力により保全活動が続けられているとのこと。

筆者の地元・愛媛県にもいくつかの美しい棚田があるが、全国的に棚田の存続が危ぶまれている昨今、「この美しさを未来に残したい」という想いが胸に宿った。


6. カフェ「kado」での山椒体験

食後のデザートタイムは、名産品の山椒を使用したソフトクリームやドリンクを楽しむことができるカフェ「kado」に立ち寄った。太い梁と土間が印象的な純日本家屋の佇まいを残している。小さめの縁側もあり、昔ながらの日本の家屋の良さを現代に伝える空間だ。

有田川町は山椒の産地としても知られており、特にぶどう山椒の栽培が盛んだ。この地域の山椒は粒が大きく、香りが強いのが特徴で、高級料亭でも重宝されているらしい。店内にはすでに3組ほどのお客さんが食事を楽しんでいて、カレーを食べている姿が見に入った。事前にチェックしていなかったが、どうやらランチメニューも提供しているようだ。

お昼を食べたばかりの我々はソフトクリームとドリンクを注文。バニラソフトに山椒のパウダーがかかったようなルックスを想像していたが、kadoのソフトクリームは想像よりも手の込んだものだった。クリームには山椒の葉のペーストが練り込まれ、ミルで挽かれた山椒がトッピングされていたのだ。

これによりバニラよりもマイルドな甘さに仕上げられたクリームに、フレーク状の山椒が絶妙なアクセントを加えている。予想を裏切る美味しさだった。
山椒って、こんなに万能だったっけ?


7. 復路は一転〜有田川沿いの快適ダウンヒル

この日のルートは有田川町清水周辺を折り返し地点とし、宿に向かって国道480号線を緩やかに下る帰路となる。往路の険しい山道とは対照的に、有田川に寄り添う国道の下り坂は、自転車で風を切る醍醐味を存分に味わえる舞台だった。

「これだ、この解放感!」と心の中で歓声を上げながら、往路と復路で全く異なる表情のルートを選択した自分を称賛した。有田川に沿う国道480号線は景観の美しさから「清流ライン」の愛称で親しまれている。

復路の道中では、地域の生命線である二川ダムの雄大な佇まいに目を奪われた。1968年に完成したこのダムは、治水と発電の両方の役割を担い、有田川流域の発展に大きく貢献してきた。ダム湖周辺は桜の名所としても知られ、春には多くの花見客で賑わう。

床が鉄網で構成された蔵王橋の上を恐る恐る歩いてみるなど、ローカルエリアならではの観光要素も織り交ぜた。30代の大人が「怖いよー!」と叫びながらスリルを楽しむ姿は、我ながら微笑ましい光景だったと思う。


8. 川辺で蘇る夏の記憶

国道の気持ちよい下り坂を駆け抜けていると、川辺で戯れる人々の姿が目に飛び込んできた。ここで僕たちも再び水との戯れを楽しむことに。厳しい日本の夏において、冷たい川の水はまさに砂漠のオアシスそのもの。

周囲には家族連れが水遊びやバーベキューを楽しんでいる光景があり、それを眺めていると自分たちも子供の頃の夏休みに戻ったような懐かしい気持ちが込み上げてくる。「これぞ日本の夏だな」と感じる瞬間だった。

有田川に寄り添う道も徐々に平坦な表情を見せ始め、みかん畑の緑が再び視界を彩ってきた。ここまでくればゴールはもう目と鼻の先。残り少ない体力を絞り出すようにペダルを回し、一日の締めくくりに向けてラストスパートをかけた。


9. 一日の終わりに味わう達成感

「TADONO the bedroom」に到着して敷地内にある「GOLDEN RIVER」で、ノンアルコールビールとハンバーガーで1日目の幕を下ろす。「お疲れ様でした!」の乾杯の音が、夕暮れの空気に心地よく響いた。

気の置けない仲間との気ままな旅だからこそ、自分たちのペースで心ゆくまで楽しみ尽くした1日目。

明日のルートへの期待を胸に、今夜の宿である日高町の「波満の家」へと向かった。

翌日のルート上にあるこの宿は、目の前にビーチが広がる絶好のロケーション。潮騒をBGMに、地元の海が育んだ新鮮な魚料理に舌鼓を打ち、語らいは夜更けまで続いた。30代の夜更かしは翌日に響くものだが、そんな心配は明日の自分に委ねることにした。

続く2日目(後編)は、和歌山県のリアス式海岸の絶景を巡る旅へ。

🚲立ち寄りポイント一覧
TADONO the bedroom https://tadono.com/
生石(おいし)高原 https://www.wakayamakanko.com/sightseeing/nature4.html?utm
赤玉わさび寿司 https://akadama-wakayama.com/
あらぎ島 https://www.aridagawa-kanko.jp/spot/aragijima/
kado https://kado-sanshou.com/photo
二川ダム https://www.town.aridagawa.lg.jp/top/kakuka/kanaya/9/2/keikan/611.html
GOLDEN RIVER https://golden-river.jp/
波満の家 https://hamanoya-minn-shuku.amebaownd.com/
有田川町サイクリングコース https://www.aridagawa-kanko.jp/spot/cycling/

🚲有田川町までのアクセス ルート例

>関西方面から(大阪・京都・神戸など)
出発地:大阪(JR大阪駅/天王寺駅)
JR天王寺駅 または 新大阪駅発(特急くろしお号白浜行き)→藤並駅下車
*所要:約1時間30分
*藤並駅は有田川町の最寄り駅

>関東方面から(東京・横浜など)
出発地:東京駅
東京駅発 → 新大阪駅下車(東海道新幹線「のぞみ」約2時間30分)
新大阪駅発(特急くろしお号白浜行き)→藤並駅下車
*所要:計約4時間
*特急くろしお号の一部は藤並駅を通過しますので予め時刻表でご確認ください

出発地:羽田空港
羽田空港 → 南紀白浜空港(JAL 約1時間)
*白浜からレンタカー、または特急で藤並まで戻る(やや遠回りルート)

Profile

Writer
Ryuji Ise/高校生の頃から自転車競技に打ち込み、過去に自転車専門誌の編集やウェアメーカーで勤務していた。2022年に愛媛に移住し、アパレル関係の本業の傍らでインバウンドサイクルツーリズムに関わるガイド業を行っている。

Photographer
Tats Shimizu/フォト&ビデオグラファー、自転車メディア『LOVE CYCLIST』編集長。スポーツバイク歴12年。ロードバイクを中心としたスポーツバイク業界を、マーケティング視点を絡めながら紐解くことを好む。国内外の自転車にかかわるブランドの撮影を多数手掛け、幅広い交友関係を持ち、メディアを通じてさまざまなスタイルの提案を行っている。メインバイクはStandert(ロード)とFactor(グラベル)。

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