CYCLE CINEMA⑰
『国宝』
美しさと恐ろしさの間で

ある歌舞伎役者をインタビューする機会があった。指定された茶室で正座をして窓から外を見ていると、着物姿の人が現れ空を仰ぎ見た。さながら映画のような風景だった。まもなくして茶室に役者が現れた。ふと、私を見て「正座、慣れてないでしょう。どうぞ、足をお崩しになって」と優しく言った。

人間国宝でもあるその役者は、歌舞伎に詳しくない私の質問のひとつひとつに時間をかけ、丁寧に答えてくれた。人間国宝とは、国の「重要無形文化財」に指定された伝統芸能や伝統工芸の分野で、「わざ(技能)」を最高度に体得・実践している個人を指す通称だ。歌舞伎の世界に血筋を持たず、外から歌舞伎の世界に入ったこの役者の苦労はいかほどのものだっただろう。取材は数時間だったけれど、その僅かな時間でも佇まいの美しさや言葉遣い、歌舞伎に対する情熱が伝わってきた。それと同時に、ここに至るまでの努力や時間を想像するだけで恐ろしくなった。この人の美しさは同時に恐ろしさも内包していると感じた。

『国宝』は吉田修一による同名小説の映画化。血筋が支配する歌舞伎の世界に飛び込んだ一人の青年の物語だ。舞台は1960年代の長崎から始まる。任侠の一門に生まれた喜久雄は美しい顔を持つ少年だった。しかし、抗争によって父を亡くし、15歳にして天涯孤独となってしまう。そんな彼の天性の才能を見抜いたのが、上方歌舞伎の名門の当主・花井半二郎。半二郎は喜久雄を引き取り、喜久雄は歌舞伎の世界へ飛び込むことになる。

そこで出会ったのが、半二郎の息子・俊介。生まれながらに将来を約束された俊介と、任侠の血を引く喜久雄。正反対の血筋を受け継ぎ、生い立ちも才能も異なる二人だが、兄弟のように育てられ、親友として、そしてライバルとして互いに高め合いながら、芸に青春を捧げていく。女形として才能を開花させた喜久雄は、やがて歌舞伎界の頂点へと駆け上がっていく。しかし、血筋がものを言う伝統芸能の世界で、部外者として成り上がることは並大抵のことではない。才能と実力で勝ち取った地位も、家の力の前には揺らいでしまう。一方、俊介も三代目襲名の道を断たれる事態に直面する。多くの出会いと別れ、信頼と裏切り、歓喜と絶望。激動の時代を背景に、二人はもがき苦しみながらも芸の道にしがみついていく。

果たして、世界でただ一人の存在「国宝」へと駆け上がるのは誰なのか。そして、何のために彼らは芸の世界で生き続けるのか。

映画は少年期、青年期、中年期と明確に3つの時代を描く。映画で感心したのが、ライバル関係の描き方だった。血筋とよそ者が出会えば、当然異物に対する反発がある。この脚本が素晴らしいのは、その辺りのジェラシーのようなありきたりの反応を描かないことだ。同世代の仲間を得た二人はすぐに仲良くなり、芸に打ち込む。学校を一緒に帰り、途中で台詞を諳んじる。

自転車は学生時代に登場する。少年期後半、2人が学校から河原に向かう際、自転車を使うシーンがある。桜が咲く中を少年たちが2人乗りをする。後輪の軸に足をかけて仲良く自転車に乗る姿は、何の不安もない時期をとても美しく描いている。しかし、すぐに散る運命を持つ桜が2人の未来を暗示する一抹の不安も同時に表現している。この自転車のシーンは、二人の関係性の変化を象徴的に表す重要な場面でもある。

当然、舞台の上には血筋は関係ない。むしろ、その血筋の重圧が残酷にも役者を完膚なきまでに叩きのめすこともある。舞台では時折、人知を超えた瞬間に立ち会う。その時、客席は静まりかえり、息をするのを忘れてしまうほどの緊張感に包まれる。演者の息づかい、衣擦れの音しか聞こえず、世界が舞台上だけに集約される。その瞬間に血筋は関係ない。支配しているのは役者の身体だけだ。

歌舞伎、能、舞踏、バレエ、演劇、落語、音楽、漫才。卓越した能力を持つ演者による舞台に出会うと、人はその虜になる。その瞬間に立ち会ったとき、人は表現の虜になる。なかでも歌舞伎ほど厳しい目が向けられる芸能も珍しいだろう。動き、声、タイミング、そのひとつがコンマ何秒ズレただけで違和感となる。長年歌舞伎を見続ける観客の記憶には、先代や先々代の動きや台詞が完成された型として刻み込まれているからだ。歌舞伎役者は時間軸を上書きするような演技を常に求められる。

『国宝』は過酷な世界を生きた2人の人生を丁寧に描いた作品だ。桜の下に自転車で2人乗りをした少年たちが、やがて別々の道を歩むように、人生は思いもよらない方向へと進んでいく。しかし、その道のりにこそ、真の美しさが宿るのだろう。


Text_井上英樹/Hideki Inoue


🎬CYCLE CINEMA STORAGE🎬
#01 “自転車泥棒”
#02 “プロジェクトA”
#03 “明日に向かって撃て!”
#04 “少年と自転車”
#05 “居酒屋兆治”
#06 “ニュー・シネマ・パラダイス”
#07 “キッズ リターン”
#08 “PERFECT DAYS”
#09 “クレイマー、クレイマー”
#10 “E.T.”
#11 “ガチ星”
#12 “イエスタデイ”
#13 “少女は自転車にのって”
#14 “関心領域”
#15 “アンゼルム”
#16 “男はつらいよ”
#17 “国宝”

Profile

Text_井上英樹/Hideki Inoue
兵庫県尼崎市出身。ライター、編集者。趣味は温浴とスキーと釣り。縁はないけど勝手に滋賀県研究を行っている。1カ所に留まる釣りではなく、積極的に足を使って移動する釣りのスタイル「ランガン」(RUN&GUN)が好み。このスタイルに自転車を用いようと、自転車を運搬する為に車を購入した(本末転倒)。

Illusutration_Michiharu Saotome

CULTURE
CYCLE CINEMA⑩
『E.T.』
自転車で空が飛べると思った頃

最近のSF映画は難しい。多くの人が『特殊相対性理論』の基本を理解しているため(なんとなくだけど)、いくら科学技術が進歩しても「宇宙人が地球にやってくる」ことは、理論上非常に困難であると思っている。だから、『インターステラー』のように多次元展開したり、『メッセージ』のように過去から未来の時間は同時に存在しているという設定にしたり、『三体』のように三体問題(地球人には解決できない)を乗り越えたりして地球人の前に現れる。まことにややこしい。現代のSF映画では宇宙人を描くことが以前よりも複雑になっている。映画人、苦難の時代だ。 その点、『E.T.』(1982年)のストーリーは明快だ。宇宙人の学者たちが地球に植物採集にやってきて、LAの夜景に見とれていたE.T.(本名不明)は取り残されてしまう。E.T.は心優しきエリオット少年と出会い、兄妹たちと共に親交を深め、地球の機材を使って交信機を作り宇宙船を呼び寄せて星へ帰る。なんてシンプル。 しかし、E.T.はちょっと抜けている(人間より高度な設定ですよね)。そもそも、宇宙船に乗り遅れるし(あとで怒られただろう)、ものを落としたり(人間とほぼ同じ構造の手なのに)、酒を飲んで酔っぱらって失態をおかすなど、かなりやらかし男だ(野口聡一さんは取り残された星で酔って倒れたりはしない)。しかし、ほのぼのさが子どもの心を掴むのだから、彼の人徳というべきなのかもしれないが。 実はこの『E.T.』、かなりの自転車映画でもある。前半、お菓子をまいてE.T.をおびき寄せる時(学者なのに……)にエリオットが乗っていたり、ハロウインの日に月を背景に空を飛ぶシーンなどに […]

#Cinema #Colunm
CULTURE
CYCLE CINEMA⑤
『居酒屋兆治』
函館の坂道を自転車で行く健さんの格好良さよ

北海道を鉄道で旅していたとき、奇妙なアナウンスがあった。ドラマ撮影のため、次の駅の名前が変わっているから気をつけろという。車内がざわめいた。北海道・富良野を舞台にした人気ドラマだったからだ。列車は駅に着いたが、撮影隊らしきものを通り越してしまった。すると、ホームの隅に背の高い男性がいるのが見えた。帽子を深くかぶってはいたが高倉健だとすぐにわかった。恐らく、旧知の友(田中邦衛)の撮影現場に陣中見舞いに訪れたのだろう。僕らの視線に気がついた健さんは、はにかみながら片手を上げて挨拶してくれた。圧倒的な格好良さだった。以来、「世代」ではないけれど、高倉健の主演する作品を観るようになった。

#Column #Cinema
CULTURE
CYCLE CINEMA⑧
『PERFECT DAYS』
日常は美しく、それはあまりにも

ある年齢層にとってヴィム・ベンダース監督は特別な意味を持つ存在だろう。ミニシアターがカルチャーに大きな影響力を持っていた時代、彼の撮る作品はどれも「観るべき映画」だった。『パリ、テキサス』(1985年)『ベルリン・天使の詩』(1987年)が大ヒットを記録した後、ヴェンダースの作品群――『ゴールキーパーの不安』、『都会のアリス』、『さすらい』など――が、何度もリバイバル公開された。熱狂とは言わないが、静かにヴェンダースの映画は受け入れられた。現在活躍する映画監督や映像作家たちに与えた影響は計り知れない(映画を学ぶ学生たちは狭い日本の中でロードムービーばかり撮っていたのだ)。

#Wim Wenders