CYCLE CINEMA①
『自転車泥棒』
自転車が生きる希望だった時代

自転車の盗難。誰しも、この最悪の事態を避けたいだろう。パーツやボディの素材を厳選し、1グラム単位で重量を削減するのに、盗難対策のチェーンロックが500グラムもするなんて本末転倒もいいところだ。許すまじ自転車泥棒。この世からいなくなって欲しい。

『自転車泥棒』(1948年)という古い映画がある。監督はヴィットリオ・デ・シーカ(ウクライナのひまわり畑で撮影した『ひまわり』が有名)。本作は戦後のイタリアの労働者を描いた切ない映画だ。

舞台は第二次世界大戦後のローマ。戦後の不況は深刻で主人公のアントニオは2年も仕事に就けていない。このままでは家族が餓えてしまう。職業安定所の紹介でポスター貼りの仕事を見つけるが、ひとつの条件があった。自転車が必要だという。彼の自転車は質に入れており、家族の協力でなんとか取り戻すことができた。自転車に仕事道具を積み込み、意気揚々と仕事に向かうアントニオ。これで生活は少しずつ良くなるはずだ。希望が見えてきたのも束の間、初日に自転車を盗まれてしまう(なにやってんだよ)。自転車を失うということは、仕事を失ってしまうということだ。息子と共に町中を探すが自転車は出てこない。

マンマ・ミーア! 途方に暮れるアントニオ。

失意のどん底、鍵のない自転車を見つけるアントニオ。

自転車さえあれば仕事ができるぞアントニオ。

悪魔の誘惑に勝てず、アントニオは罪を犯してしまう。誰が彼の罪を責められよう。が、自転車の持ち主はアントニオの都合なんて知るわけもない。哀れアントニオは息子の前でボッコボコにされてしまうのだ。

不思議なことに、映画を観ると罪を犯した男を切なく思い、応援していることに気づく。自転車泥棒、あんなに許しがたい存在なのに。自転車を愛する人たちはこの映画を観てどう感じるか。ぜひ、ご自身で確認して欲しい。

🎬CYCLE CINEMA STORAGE🎬
#01 “自転車泥棒”
#02 “プロジェクトA”
#03 “明日に向かって撃て!”
#04 “少年と自転車”
#05 “居酒屋兆治”
#06 “ニュー・シネマ・パラダイス”
#07 “キッズ リターン”
#08 “PERFECT DAYS”
#09 “クレイマー、クレイマー”
#10 “E.T.”
#11 “ガチ星”
#12 “イエスタデイ”
#13 “少女は自転車にのって”
#14 “関心領域”
#15 “アンゼルム”
#16 “男はつらいよ”


Text_井上英樹/Hideki Inoue

兵庫県尼崎市出身。ライター、編集者。趣味は温浴とスキーと釣り。縁はないけど勝手に滋賀県研究を行っている。1カ所に留まる釣りではなく、積極的に足を使って移動する釣りのスタイル「ランガン」(RUN&GUN)が好み。このスタイルに自転車を用いようと、自転車を運搬する為に車を購入する予定(本末転倒)。

CULTURE
CYCLE CINEMA⑬
『少女は自転車にのって』
女性が自転車に乗れない世界の物語

映画のおもしろいところは、多様な世界を見せてくれることだろう。マフィアの血の歴史を。遠い星で起こった戦争を。殺し屋と少女の出会いを。幕末の侍の生涯を。絶体絶命の兵士を。湖畔で襲いかかる殺戮者との戦いを。国境や時代、時空を越えて、私たちに驚きと感動を与えてくれる。 『少女は自転車にのって』(2012年)はアカデミー賞外国語映画賞やヴェネツィア国際映画祭国際映画祭にノミネートされたサウジアラビア映画(ドイツ共同制作)。監督と脚本を担当したハイファ・アル=マンスールはサウジアラビア初の女性映画監督だ。 物語はサウジアラビアの首都リヤドで始まる。主人公は10歳の少女ワジダだ。頭の回転が速く、小銭を貯める能力に長けている。その彼女の夢は自転車に乗ること。お金を貯めて自転車を買い、男友だちと自転車競走がしたいのだ。これを聞いた人は「はいはい、途上国の貧困映画ね」と思われるかもしれない。違うのだ。彼女の家はおそらく中流家庭より上。素敵なリビングには大型テレビやゲーム機がある。母の仕事の送り迎えにはドライバーがいる(乗り合いだけど)。基本的に生活には困りごとはない。両親は真面目に働き、彼女に愛情を注いでくれる。お金に困っていないのに、なぜ自転車を買えないのか。それは、女の子が自転車に乗ってはいけないから。 私たちの常識から考えると驚きの女性差別が劇中に登場する。学校でも大きな声で話してはいけない(男性に聞かれてはいけない)。顔や体のラインがわからないようヒジャブなどで覆わなくてはならない。婚姻前の年頃の男女が外で会ってはならない。ラジオでロックを聴いてはいけない(これは女性だからというわけでは […]

#Colunm #Wadjda
CULTURE
CYCLE CINEMA⑰
『国宝』
美しさと恐ろしさの間で

ある歌舞伎役者をインタビューする機会があった。指定された茶室で正座をして窓から外を見ていると、着物姿の人が現れ空を仰ぎ見た。さながら映画のような風景だった。まもなくして茶室に役者が現れた。ふと、私を見て「正座、慣れてないでしょう。どうぞ、足をお崩しになって」と優しく言った。 人間国宝でもあるその役者は、歌舞伎に詳しくない私の質問のひとつひとつに時間をかけ、丁寧に答えてくれた。人間国宝とは、国の「重要無形文化財」に指定された伝統芸能や伝統工芸の分野で、「わざ(技能)」を最高度に体得・実践している個人を指す通称だ。歌舞伎の世界に血筋を持たず、外から歌舞伎の世界に入ったこの役者の苦労はいかほどのものだっただろう。取材は数時間だったけれど、その僅かな時間でも佇まいの美しさや言葉遣い、歌舞伎に対する情熱が伝わってきた。それと同時に、ここに至るまでの努力や時間を想像するだけで恐ろしくなった。この人の美しさは同時に恐ろしさも内包していると感じた。 『国宝』は吉田修一による同名小説の映画化。血筋が支配する歌舞伎の世界に飛び込んだ一人の青年の物語だ。舞台は1960年代の長崎から始まる。任侠の一門に生まれた喜久雄は美しい顔を持つ少年だった。しかし、抗争によって父を亡くし、15歳にして天涯孤独となってしまう。そんな彼の天性の才能を見抜いたのが、上方歌舞伎の名門の当主・花井半二郎。半二郎は喜久雄を引き取り、喜久雄は歌舞伎の世界へ飛び込むことになる。 そこで出会ったのが、半二郎の息子・俊介。生まれながらに将来を約束された俊介と、任侠の血を引く喜久雄。正反対の血筋を受け継ぎ、生い立ちも才能も異なる二人だが […]

#Colunm #Kokuho
CULTURE
CYCLE CINEMA⑯
『男はつらいよ 寅次郎頑張れ!』

「あの映画を観ていないと、人生を損している」。そんなふうに語る人がいる。趣味は人それぞれだし、どんな映画を観るかは本人の自由だ。だけど『男はつらいよ』シリーズをまだ観ていない人には、そっと背中を押したくなる。「一度観てみても、いいんじゃないかな」と。あの作品には、日本の喜劇のエッセンスがぎっしり詰まっている。 主人公は、葛飾・柴又生まれの寅さん(渥美清)。口は悪いが人情に厚く、困っている人を見過ごせない性分。生業は露天商で、いわば風来坊だ。だが、柴又には団子屋「とらや」を営む親戚がおり、妹のさくら(倍賞千恵子)もそこで働いている。寅さんは年に何度か、ふらりと「とらや」へ帰ってくる。 そのたびに、騒動が起こる。家族やご近所を巻き込んだドタバタ劇は、笑いと涙を連れてやってくる。そして、もうひとつの見どころが、作品ごとに登場するマドンナたち(吉永小百合、浅丘ルリ子、大原麗子、いしだあゆみ!)。寅さんは毎回、ピュアな心で恋に落ちる。でも、結末は決まっている。彼は振られ、また旅に出るのだ。この「出会いと別れ」の繰り返しが、シリーズ全体をひとつの壮大な“失恋の叙事詩”にしている。 寅さんは運転免許を持っていないので、移動手段は列車か徒歩。そして、時には自転車にも乗る。とはいえ、それはたいてい人から借りたもの。サイズが合わないせいか、がにまたで漕ぎながら、流行歌を口ずさむ。格好いいおっさんだ。 『男はつらいよ 寅次郎頑張れ!』(1977年、山田洋次監督)は、そんな寅さんが「恋の指南役」として奮闘する一本。若い男女の恋を応援しようと立ち回るうちに、いつの間にか自分も恋に落ちてしまうという寅さん […]

#Colunm