下町自転車散歩 05
春を味わう本の街 ~神田~

今回は筆者の出身地でもあり、下町を語るのには外せない神田地域を自転車で散策。
神田は現在行政区ではなく、皇居のある千代田区の北東部の呼称。ほとんどの町名の頭に「神田」の文字が入っているのが特徴です(話すときは「神田」を省くのが一般的ですが)。
春の訪れを感じる風にふかれながら、世界一の本の街とよばれる神保町をぶらぶらしたり、小川町の老舗和菓子店にお話を伺ったり、美術館や神社をめぐったりと、まったりしました。

Text_Shitamachi Kombu

目次

ビジネス街のうるおい、三菱一号館美術館
世界一の本の街、神保町
御菓子処さゝまにインタビュー
梅の季節に神社と聖廟をひと巡り


ビジネス街のうるおい、三菱一号館美術館

と、いいつつも始まりは丸の内エリアから。神田のお隣の地域なので、これはもう神田といってもいいでしょう。江戸っ子は細かいことは気にしないものです。

日比谷駅から地上に上がると、交差点にレンガ造りの瀟洒な建物が。明治時代のお抱え外国人建築家、ジョサイア・コンドルの設計によるこの建物は、当初商社の三菱のオフィスとして利用されました。
2010年の改装時に、丸の内エリアに必要な施設を熟慮検討の上、ビジネス街にもうるおいをということで、当時のデザインを可能な限り忠実に再現しながら三菱一号館美術館として生まれ変わることに。
明治時代の薫香が感じられる建物に飾られた絵や美術作品は、個人的に三割増しくらい魅力的です。
今回開催されていたのは、明治~大正時代に日本美術の1ジャンルとなった新版画の展示会。ユニークな試みとして、当館はポッドキャスの配信も開始。学芸員のトークを予習して観覧できるのもうれしいところです。

新版画は日本以上に海外で人気だそう。展示情報によれば、川瀬巴水が三菱家の依頼で描いた深川新睦園(現、清澄庭園)の新版画が海外向けのノベルティとして頒布され、世界に広まったとのこと。この新版画が時代を下って、アップル社の革新的なグラフィカルユーザーインターフェースのPC「マッキントッシュ」のデビューのデモで使われ、スティーブ・ジョブズの邸宅に飾られるまでになるわけですね。

1984年発売のマッキントッシュのデモでは、ディスプレイの美しさの訴求として新版画の「髪梳ける女」が選ばれた
美術館を出て、東京フォーラムのポートでドコモのバイクをレンタル。自転車散策スタートです

世界一の本の街、神保町

皇居を左手に見ながら、内堀通りを北上して10分ほどで神保町に到着。ポートに自転車を返却し、世界一ともいわれる本の街を散策します。

本棚デザインの神保町駅の壁紙

シェア書店 SOLIDA
古書店の並ぶ中、ひときわ目立つ目新しい建物は、最近増えているシェア型の書店。
本棚の一段毎に棚貸しを行い、様々なオーナーがお気に入りの書籍を販売。オーナーは自費出版の方から、中には有名な著者本人のことも。トートバッグやコーヒーなど書籍以外がおかれた棚もありそれぞれ個性的。人の本棚を覗いているようで少しドキドキします。
現在グループでは神保町には2店、都内には3店を展開中とのこと。棚にはフランスの通りの名が名づけられておりおしゃれな雰囲気です。
自分がオーナーになるとしたら、どんな本を並べようか?なんて妄想するのも楽しいですね。

アン・ハサウェイと古書店
古書店屋、澤口書店さんの軒先では木箱に入った浮世絵のプリントが1枚500円程度で販売。ヨーロッパからの旅行者と思しきご夫婦が熱心に箱の中身を吟味して、やがて両手にどっさりとプリントを抱えてレジに向かっていきました。

私もその後、平成初期に発行された東京探訪グラフ誌を木箱からピックアップ。レジへ向かおうとすると、1枚のPOPに目が留まります。

お店オリジナルの「JINBOCHO CYTY」Tシャツは、本好きの女優のアン・ハサウェイが来日した際購入した一品とのこと。ほかにもレトロ可愛いグッズを発売していて、古書店も時代に合わせて変わっているのだなあと思いました。なお、アン効果でTシャツは品切れ。残念。

江戸川乱歩の贔屓の天ぷら屋 はちまき
神保町は本の街であると同時に、飲食の街でもあります。片手で本を読みながら食べられるのでカレー屋が多いという話は有名ですが、その他にも中華料理店やラーメンなどの飲食店がたくさん。今回は、作家の江戸川乱歩が贔屓にしていた天ぷら屋「はちまき」で腹ごしらえすることにしました。

神保町を代表する老舗の1つのため、観光ガイドの紹介スポットにもなっています

丼からはみ出す大きな穴子天がインパクトのある「穴子海老天丼」は、本来はコースの最後に出る穴子をご飯に乗っけて食べたいという江戸川乱歩のリクエストから始まった名物。からりと揚がった衣をさくりと齧ると、ふうわりと柔らかい新鮮な魚介の味。猟奇的な作家として知られる乱歩の好物とは思えぬ、甘さ控えめのタレも優しい親しみのある美味しさでした。これだけの味が大衆料金でいただけるのもありがたいですね。


御菓子処さゝま

食後には甘いものということで、神保町の一角にたたずむ老舗の和菓子屋へ。

「松葉最中」が名物の「御菓子処さゝま」さん。東京を代表する和菓子屋の1つですが、支店もなく、アンテナショップへの出店や通信販売も行っていないため、その和菓子はこの本店のみでしか買うことができません。目抜き通りから30歩ほどのお店は、街の賑わいとは無縁のような落ち着いた佇まい。入口に飾られた笹の葉が涼やかです。昔気質の頑固な方だったらどうしよう…?とドキドキしつつ、店主にお話を伺うことにしました。

さて、お話を伺わせていただいた現店主の笹間千鶴さんは三代目。お店の店員さんたちと同じく、物腰の柔らかい方でした。(ほっ)
お店の歴史は、もともと1929年にパン屋として開業したお店が和菓子も販売するようになり、1934年には和菓子専門店として現在の形になったとのこと。
客層は平日は地元で働く方やお住いの方、休日は外から訪れる方が多いそう。皆さん町の和菓子屋さんとして気軽に利用されているようで、平日はお昼休みのデザートとして和菓子1個だけを買いに来る方もいらっしゃるとか。

持ち帰っていただいた和菓子たち。
三層の「下萌」は、雪の積もった土の下で萌えいづろうとする草木を表現。紅梅と合わせて、まもなく訪れる春を感じさせます。

名物「松葉最中」は小ぶりな最中の皮をパリリと噛むと、少し羊羹のような噛み応えも感じる上品な甘さの滑らかなこし餡が。小豆のみが原料なのに、なぜか柑橘のようなさわやかさも感じます。子供のころより美味しく感じるのは、私の舌年齢がようやく追いついたからかも。職場へのお土産用に買った12個は、もっていく前に一人で食べきってしまいました…

昔ながらの国産食材と製法で和菓子を作り続けるさゝまさん。月替わりする和菓子で季節の移ろいを感じる方もいらっしゃるので、メニューはあえて昔から変えていないそうです。
モットーと言えるかは分かりませんが…と前置きしながら話していただいたのは、初代から引き継がれている「ごみを出さない」という言葉。
確かに個包装はなく、店内も余分なものは一切ない茶室のような佇まい。使われている餡も、通常は取り除くシブ(苦み成分)をすべて取り切らずに作ったこし餡です。自然の恵みを無駄にしないという思いが独特の味を生み出しているのかもしれません。
SDGsの12「つくる責任、使う責任」ではゴミの発生を減らす目標が定められていますが、この店舗では創業当時からすでに実践しているんですね。

なお、先代の時代には近隣の会合や法事へのお届けものも多く、山の上ホテル(現在休館中)まで自転車で配達などもされていたとか。印刷屋だった私の父も自転車で配達をしていたと言っていたので、小回りの利く自転車は下町エリアの仕事道具でもあったのでしょう。

お会計の際、お釣りの額によってはピン札の2,000円札がもらえることも。旧字体で金額が書かれた和紙の領収書も温かみがあって嬉しいですね。

ささまさんは、お菓子を作る職人の方々とお店の経営を分業制にしている、個店の和菓子店としては珍しい形態。「作り手ではない私たちは、お客様目線での味を大切にしていきたい」と現店主。引退した先代も羊羹が好物とのことで、店主であると同時に自社の和菓子のファンでもあるようです。なお、未開封の羊羹は半年ほど日持ちするので、海外からの旅行者の方のお土産にはこちらがおススメかもしれません。

最後に、江戸っ子でもある店主に「神田エリアの魅力」を伺いました。
「知り合いの方も多く、気が張らずに自然体で過ごせる街なところが良いですね」とのこと。神田に根をどっしりとはっている老舗ならではの言葉です。
引き続いたものを絶やさぬようにしていきたいという三代目。初めての方は店構えで入りにくく感じてしまうかもしれませんが、どうぞお気軽に扉を開けてくださいとのこと。和菓子の質問なども何でもお答えいただけるそうです。
皆さまも神田を訪れた際は、ここでしか出会えない和菓子をお土産にしてはいかがでしょうか。


梅の季節に神社、聖廟をひと巡り

湯島天神
天気は快晴、折しも梅の季節。さすれば、湯島天神(湯島天満宮)を訪れない手はありません。詩歌に長じた平安時代の政治家、菅原道真公を「天神」として祀ったこの神社は、彼の愛好した梅の名所としても有名です。場所は神田のお隣の湯島地域ですが、江戸っ子は細かいことは気にしないものです(2回目)。

学問の神様としても知られる天神様は、合格祈願を願う受験生や関係者でにぎわっています。

境内の宝物殿では、神輿や企画展を鑑賞できます。当日開催されていたのは梅を描いた日本画展。今日本を代表する花といえば桜をイメージしますが、奈良時代の詩歌集、万葉集の時代には梅の方を詠んだ詩の方が圧倒的に多かったのだとか。梅は古くから日本人に親しまれた花であることが分かります。

湯島聖堂
さて、続いては湯島つながりで湯島聖堂に。
ここは厳密には寺社ではなく、江戸幕府が開いた学校「昌平坂学問所」の史跡。孔子をはじめとした、中国の儒学の偉人たちが祀られています。

丈高4.57メートル、重量約1.5トンの孔子の銅像は世界最大とのこと
廟内には植えられた楷(かい)の木について記された石碑と看板。孔子の聖廟に植えられた木で、植物学者牧野富太郎は「孔子木」と命名。枝や葉が整然としているので、書道でいう楷書の語源ともなったとか。

普段は都会とは思えない落ち着いた雰囲気ですが、受験シーズンには湯島天神と合わせて合格祈願者が多く訪れる湯島聖堂。日本と中国の賢者のご加護を受けてガンバって。

神田明神
さて、最後に訪れたのは神田108町会の氏神様、神田明神

初詣の時期は過ぎても、多くの人でにぎわっていました。
ご神馬(ごしんめ)がいる珍しい神社としても有名なので、今年の干支の午(うま)年にかけて普段より混んでいたのかもしれません。

ご神馬はポニーの女の子のあかりちゃん。残念ながら休憩中で愛らしい御姿は見れませんでした。
馬の絵姿が入った午年限定の御朱印と、珍しいペット御守り
境内にはインスタグラムで募集したペット御守りをつけた犬や猫の紹介POPも。動物も大切にされていることが伝わってきます。当然、ペットを連れての参拝もOK

湯島聖堂とニコライ堂(東京復活大聖堂)の二つの「聖」をつなぐ聖橋(ひじりばし)から、秋葉原に続く神田川を眺めて自転車散歩は終了。
私は神田を離れた身ですが、今も神田に住み続ける神田っ子のささまさんにもお話を聞けて有意義な一日でした。よければ今後もまたいろいろな老舗(そして、本物の江戸っ子)に下町の魅力を伺っていきたいと思います。誌面に出てもOK!という老舗の方がいたら、是非[email protected]までお便りください。
それでは近いうちにまたお会いしましょう!


🚴‍♂️今日のコース🚴‍♂️


🚴‍♂️下町こんぶの記事🚴‍♂️

下町自転車散歩01 東京下町谷根千エリアで御朱印集め
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下町自転車散歩03 神田祭
下町自転車散歩04 大田区
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Profile

下町こんぶ
週末ライター。東京神田生まれ三代目の江戸っ子。下町再発見に興味あり。本格的な自転車経験はないが、通勤時の相棒として、電動自転車を日々重宝。方向音痴が悩みの種。私淑するエッセイストは東海林さだお。ライターネームは駄菓子屋の定番「都こんぶ」にあやかる。

TRIP&TRAVEL CULTURE
下町自転車散歩 #02
江戸・下町のレジェンド
北斎の名残をさがして(その2)

葛飾北斎の足跡を自転車でたどる短期連載第2回。今回は、勝川一門に入門し、浮世絵の世界に飛び込んだ20代の北斎から始まります。 目次  1. 相撲の町にて(20歳~) 2. 北斗の人(30歳~) 3. 北斎、葛飾北斎となる(40歳~) 1、 相撲の町にて(20歳~) 北斎は勝川一門に入門わずか1年で勝川春朗を名乗ることを許され、錦絵を製作します。(なお、彼は生涯で画号を30以上変えていますが、本コラムでは北斎で統一します。)当時の浮世絵のモチーフは、美人画、役者絵、そして相撲絵など。 北斎が9歳の1768年、勧進相撲(幕府に認可された公式な相撲)の会場が両国橋からほど近い回向院に移され、以降回向院は1946年まで相撲常設館として賑わいました。当然、北斎も力士の筋肉や動きを観察するため幾度となく通ったことでしょう。 ※訪日外国人の方に向けたドコモバイクシェアの借り方については次のページもご参照ください。訪日外国人の方がドコモバイクシェアを利用する方法 なお、この頃北斎は挿絵の他に匿名で文章も書くことがありました。貸本屋で働いた経験が役立ったのかもしれませんね。 2、北斗の人(30歳~) 破門と天啓 34歳。師匠の勝川春章の没後、北斎の才能を妬んだ兄弟子たちからの嫌がらせなどもあり、北斎は勝川派を飛び出します。その後さまざまな流派の門をたたいて画法を修行しますが、春朗の名前を使うことも禁じられ、唐辛子やカレンダーを売り歩いてしのぐほど極貧の時代だったといいます。 このころの北斎について、柳嶋妙見山法性寺にはこんな話が伝えられています。曰く、北斎が北辰妙見菩薩(北斗七星を象徴した仏)に […]

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