葛飾北斎のまなざしを追って
——富嶽三十六景をめぐる自転車旅 #1

江戸時代後期の浮世絵師である葛飾北斎が描いた「富嶽三十六景」。ご存知、見る場所やタイミングによって千変万化の表情を見せる富士山を描き出すという壮大な浮世絵版画シリーズです。題名通りの三十六点に加え、諸説ありますが、「富士講」に見て取れるような庶民の富士山人気も相まってその後十点が追加され、全作品数は四十六点。

2025年8月。私は今、その全四十六の風景を、自らの足で巡る旅の途中にいます。
今回はその中から、「駿州大野新田」「東海道江尻田子の浦略図」「駿州片倉茶園ノ不二」の三景に焦点を当て、モデル地とされる静岡の風景をサイクリングで辿りました。富嶽三十六景をめぐる自転車旅を全3回の連載でお届けします。

*TOPの作品は葛飾北斎作「東海道江尻田子の浦略図」
*掲載されている葛飾北斎の作品画像はメトロポリタン美術館より入手しています

Text&Photo_Hokokara

目次

1. 「駿州大野新田」 (すんしゅうおおのしんでん)
2. 駿河湾沿岸を走る
3. 「東海道江尻田子の浦略図」(とうかいどうえじりたごのうらりゃくず)
4. 田子の浦港 漁協食堂の生しらす丼
5. 富士川沿いの河川敷を走る
6. 「駿州片倉茶園ノ不二」(すんしゅうかたくらちゃえんのふじ)
7. 富士市サイクルステーション「ふじクル」

1. 「駿州大野新田」 (すんしゅうおおのしんでん)

旅の起点は、静岡県富士市にあるJR東田子の浦駅。ここからほど近い富士市大野新田周辺が、北斎の「駿州大野新田」の構図のモデルとされる場所です。

「駿州大野新田」/1830–32年 牛の背いっぱいに葦の束を乗せ、家路をたどる農夫の向こうに2つの浮島が浮かぶ大きな沼越しに富士山が描かれている(富士市webサイトより解説抜粋 https://www.city.fuji.shizuoka.jp/1005330000/p006957.html

かつては沼地と葦に囲まれた風光明媚な地。北斎の作品では、農夫と牛が葦を運ぶ姿の背後に、雄大な富士が姿を見せます。

現代の駿州大野新田をもとめて、自転車で数分の「浮島ヶ原自然公園」へ。ここでは、今も水辺に群生する葦越しに富士山を望むことができます。

葦の背後にそびえる富士は、北斎が描いた情景そのもの。さすがに現代では葦を背負った牛を撮ることはできませんが、この富士の雄大さは北斎の時代から変わらぬ魅力を保っているに違いありません。


2. 駿河湾沿岸を走る

葦越しの富士を堪能して始まった今回のサイクリング。次の富嶽三十六景の景色にも期待が高まりますがその前に海の美しさを味わうとしましょう。

海岸へ出ると、道はやがて駿河湾に沿う開放的なサイクリングロードへと変わります。日本一の水深(約2,500m)を誇る駿河湾を眺めながらのサイクリングは解放感抜群です。

この道は車両の進入が制限されており、歩行者と自転車だけが行き交う安全で静かなルート。道幅も十分にあり、潮風を浴びながら、ゆったりとしたペースで走ることができます。

晴れ渡る空に海のブルー、眼福極まる晴天のサイクリングコース。少々強めの潮風もこの酷暑には心地よい風です。写真でも風にさらされて斜めに伸びた防風林から潮風の強さが察せられることでしょう。


3. 「東海道江尻田子の浦略図」(とうかいどうえじりたごのうらりゃくず)

気持ちのいい湾岸サイクリングを楽しんだらお次の三十六景ポイントに到着。ユニークな形の高台が目印のふじのくに田子の浦みなと公園です。

ご丁寧に東海道江尻田子の浦略図の切り抜きパネルまで用意されています。まさに今回のサイクリングのコンセプトにぴったりのスポットです。

……しかし富士山側はあいにくの曇り空。日が出て暖かくなると雲に隠れてしまうのは夏の高山の宿命ですがやはり少々残念です。

「東海道江尻田子の浦略図」/1830–32年 手前に大きな2艘の舟と、よく見ると波間にもう2艘が描かれていて、人々がシラス漁をしているという説もあります。また、浜では塩田で働く人々が小さく描かれています。駿河湾の最奥に位置する田子の浦からの富士山が描かれています(富士市webサイトより解説抜粋 https://www.city.fuji.shizuoka.jp/1005330000/p006957.html

実際の東海道江尻田子の浦略図は、近景には海で格闘する漁師たち。浜辺では塩田で働く人々が描かれており、富士山は裾野が雲に覆われています。今日の富士山も頭だけ出ていれば絵と同じ構図になっていたかもしれませんね。

翌日早朝に取り直したもの

富士山が見えているとこのような景色になります。富士山と海は変わらずそこにありますが、塩田で働いていた人々は港湾施設や発電所に。変わらぬ自然と近代設備というミスマッチがまさに現代版「東海道江尻田子の浦略図」といった風で味があります。

ふじのくに田子の浦みなと公園自体も広々として潮風の気持ちのいい公園です。

ここはゼロ富士、いわゆるシートゥサミット(海抜0mから山頂を目指す登山スタイル)での富士登山を行う際のスタート地点になっているようでした。

富士山の標高3776mを0から稼ぐということでルート3776とも呼ばれる長大なルート。考えるだけで気が遠くなりそうな道のりです。

この築山の展望施設は「富士山ドラゴンタワー」

階段を上がるのに少々体力を消費しますが田子の浦を一望できる絶景スポット。一見の価値ありです。


4. 田子の浦港 漁協食堂の生しらす丼

ここで少し早めのお昼休憩。ふじのくに田子の浦みなと公園のすぐ近くにある「田子の浦港漁協食堂」で昼食をとります。

こちらの名物は生しらす丼です。しらすを生で食べるのは初めてで、どんな味なのか少し緊張しましたが一口食べたら止まりません。生食ですが生魚特有の臭さは全くなく、しらす本来の甘みと旨味だけが口の中に広がります。いや、これは絶品ですね。田子の浦港 漁協食堂の生しらす丼、自信をもっておすすめできます。


5. 富士川沿いの河川敷を走る

腹ごしらえが終わったらお次は「駿州片倉茶園ノ不二」のスポットへ向かいます。内陸側にあるので駿河湾から離れて北上していきます。

湾岸エリアを離れて今度は富士川沿いの河川敷エリアを楽しみます。静岡は自転車で走れる道が広くてとても快適です。

緑あり川ありで飽きることなく変わっていく景観。絶好のサイクリングロードといってよいでしょう。

県道10号沿いの道の駅「富士川楽座」にて小休止。

朝霧高原の牛乳を使用したソフトクリームが評判のMOW MOW CAFEで一服します。

といいつつ買ったのはプレミアムシェーク(いちご)ですが。サイクリング日和は夏日和。デザートも固形のものより冷えたドリンクタイプのものが欲しくなる酷暑です。大変絶品でした。

涼み終えたら今度は東へ。河川敷を離れてもこの道の広さ。富士市は自転車乗りに優しい街ですね。


6. 「駿州片倉茶園ノ不二」(すんしゅうかたくらちゃえんのふじ)

富士総合運動公園 B駐車場にて

本日ラストの三十六景スポットは富士総合運動公園。富士市が立てた駿州片倉茶園ノ不二の案内板が目印です。完全に曇天となり富士山は見えませんね。

「駿州片倉茶園ノ不二」/1830–32年

見渡す限りの広大な茶園と、そこで茶摘みに運搬にとせわしなく働く人々が描かれたこの絵。茶の産地として知られた駿河国らしい作品です。この絵が描かれた場所は定かではないようですが、大渕地区には片倉の地名が残っており、この富士総合運動公園B駐車場からは伝法沢と茶畑という絵にみられるような景色が見られます。

片倉茶園の場所が定かでないのは現在この地に片倉の地名がないためですが、現在の富士市中野周辺には、かつて「片倉」と呼ばれた地域が存在していたと伝えられています。そのため、この付近の景観が作品の舞台となったのではないかという説があります。

現在、この地域に位置する富士総合運動公園内には、「大渕片倉古墳」と呼ばれる古墳が残されており、地名の痕跡を今に伝えています


7. 富士市サイクルステーション「ふじクル」

サイクリングの締めくくりは「サイクルステーションふじクル」へ。ここでは100円で使えるシャワー室もあり、汗を流してすっきりと旅を終えられます。
そのまま岳南電車の「ジヤトコ前駅」から輪行して帰路につくこともできますし、スタート地点の東田子の浦駅へ戻って一周ルートにするのもおすすめです。
ふじクルではレンタサイクルもやっているので今回のサイクリングはここを起点にして回るのもアリですね。

次回は「神奈川沖浪裏」を探す千葉県の内房サイクリングをお届けします。


🚲公式サイト
浮島ヶ原自然公園 http://ukishimagahara.net/
田子の浦港漁協食堂 https://www.tagonoura-gyokyo.jp/
道の駅「富士川楽座」 https://www.fujikawarakuza.co.jp/
ふじクル https://fuji-cycling.com/

🚲番外編
現在、東京都渋谷区の太田記念美術館では富嶽三十六景シリーズの全46図に加え、北斎が描いた富士の風景と実際の「地形」との関係にも注目した展覧会を開催中。構図に影響を与えたと考えられる地理的要素を掘り下げることで、北斎の創作意図に迫る内容です。葛飾北斎ファン、富士山ファン、浮世絵ファンの方はぜひ。もちろん、サイクリングファンの方も!

展覧会「葛飾北斎 冨嶽三十六景」
会期:2025年7月26日(土)〜8月24日(日)
会場:太田記念美術館
住所:東京都渋谷区神宮前1-10-10
開館10:30 閉館17:30(入館は17:00まで)
https://www.ukiyoe-ota-muse.jp/hokusai-fugaku/

Profile

Hokokara
宮崎県出身。山と神社をテーマに全国を巡る旅を続けるブロガー。過去には自転車で日本一周を達成し、現在は「ひのもと行脚」にて登山や歴史、風景にまつわる記事を発信している。今後は海外にも取材のフィールドを広げ、日本と世界の魅力を発信していく予定。
ブログ「ひのもと行脚」 https://fawtblog.com/

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#Ume #Bara #Sushi