地元ライダー・ノリコが案内する
北海道オホーツクの初夏グルメライド

こんにちは。北海道北見市出身のライダー・ノリコです。今回は初夏の美味含めたオホーツクの魅力たっぷりなライドコースをご紹介します。

北見市は北海道の東部に位置する人口11万人の中核都市です。
農業、林業、漁業、温泉を併せ持つ「住めば都」間違いなしの地域。
道民以外の方には流氷、カーリングが有名かもしれません。

北海道とはいえ盆地であるため、夏は30度を超え、冬はマイナス25度になる日もありますが、カラッと晴れる日が多い地域です。サイクリングにもピッタリ!

本日は初夏の緑に囲まれながら約50キロ先の常呂(ところ)町まで。今が旬で名物の「生のホタテ」を買いに走りたいと思います。

いつもは9時頃に出発し、12時頃に常呂着で昼食をとるコースですが、今日のゴールはホタテを買うことなので、お店の開店時間に合わせ朝はちょっと遅めの10時スタート。
出発は、「オホーツクサイクルステーション」から。この時点ですでに2台が借りられており、北海道外の方が観光で利用されているとのことでした。

バイクと共にヘルメットも借りられる。コースやオススメスポットなどの相談も気軽にできて嬉しい

サイクルステーションは、JR北見駅の北見バスターミナル隣にあります。オホーツク地方の主要空港「女満別空港」からは空港連絡バスで50分弱の場所。意外と近いかもしれません。

大型バスの観光客で賑わう北見バスターミナル

サイクルステーション併設のお土産売り場で一番人気はチョコチップミントジェラート。薄荷(ハッカ)を扱う第一人者の意気込みを感じます。薄荷の味にクセがなく美味しいです!

これだけ食べに立ち寄る価値があるほどの美味しさ

1939年当時、北見の薄荷生産は世界薄荷市場の約70%を占めるまでに成長していたそうです。その名残もあり、現在でも精油方法などを紹介している「北見ハッカ記念館」があります。ということで、サイクルステーションからおよそ800mの距離にあるこの記念館へ行ってみました。サイクルラックも用意されているのでライダーも立ち寄りやすいおススメのスポットです。

北見ハッカ記念館。1934年に工場として稼働したのち、役目を終え、1986年から記念館として開館している
隣の薄荷蒸溜館ではちょうど薄荷の蒸留実演中。爽やかな香りが立ち上がっていた
後ろの棚にある乾燥した植物の束は和種の薄荷
記念館のガーデンには和洋の薄荷をはじめハーブも植えられ、ガーデンそのものも心地よい空間

北見ハッカ記念館の見学を終えたら、常呂川の堤防を進みます。
堤防はポタリングで走るのが安全です。散歩やジョギングの方とすれ違います。
道路は横断せずにう回路的な道を走ってみましょう。
ほとんど平坦なのでのんびり走りたい時は堤防がおすすめです。

地元の人の生活道路としても使われている堤防沿い

しばらく走って堤防から国道39号線に入り、端野町の菓子工房Shigaさんに立ち寄ります。菓子工房shigaさんは、サイクリストが立ち寄りやすいサイクルラックも常設され、応援されている気持ちになり、とても嬉しく感じます。

お店入り口付近のベストポジションにあるサイクルラック
ロングセラーのカスタードクリーム入りワッフルを購入。フワフワな生地に甘すぎないクリームが合います
イートインコーナーを利用してソフトクリームも食べちゃいました。ちょうど良い甘さに大満足

落ち着ける雰囲気のイートインコーナーにのんびりしたくなりますが、先を急ぎます。
菓子工房shigaさんを出発してさらに国道39号線を進みます。この後しばらく休息ポイントはなし。こちらのドライブインに立ち寄ってから走りモードにチェンジして、常呂までの道のり=およそ35kmを進みます。

北海道名物が食べられるドライブイン
まっすぐ伸びる国道39号線。やや道路が古いので気をつけながら走る

国道から少し脇道に入ったところの供養碑に立ち寄りました。網走刑務所の生活や道路工事作業で犠牲となった囚人たちの霊を弔うものとして建立されたそうです。今、走っている道路に感謝。

「鎖塚」(くさりづか)と呼ばれる供養碑

そして、鎖塚から卯原内に向かう登坂車線に入ります。今回のロードで一番きつい登りかもしれません。

広い空が気持ちの良いコース

再び平坦なサイクリングロードへ。能取湖の穏やかな湖面を見ながらのんびりモードで走ります。水辺を走るとリフレッシュしますね。その後は常呂網走サイクリングロードに入ります。

北見市には走りながら楽しめる観光地がたくさんある
機関車の展示物もあり、SLファンに人気

ここまで約4時間、いよいよ常呂漁協直売店に到着!無事に生のホタテを手に入れることができました!

地元住民が利用する漁協直売所にて
このボリューム(300g)、粒の大きさでズバリ1,000円(税込み)‼︎ ポイントは冷凍ではなく「生」。北海道のホタテの中でも格段の美味しさ

北見は春〜初夏にかけてホタテのベストシーズンです。生鮮食品を持ち帰る関係上、本日は常呂バスターミナルで家族と待ち合わせし、ライド終了としました。今回はぶらぶらと寄り道をしながら片道4時間のライドでした。

旧国鉄湧網線が廃止となり、常呂駅あとにできた常呂町の交通の要所である常呂バスターミナル。ここから、網走バス(常呂線、サロマ湖栄浦線)・北見バス(常呂線)・市営バス(栄浦線、鐺沸線)が発着している
バスターミナル裏手に見えるオホーツク海は流氷見学のスポット。冬もぜひお楽しみに

本日のライド_走行距離およそ50km、獲得標高数385m、寄り道込みで約4時間

Text_Noriko Sugano

菅野 典子 / Noriko Sugano

生まれも育ちも北海道北見市。実家が農家ということもあり、自宅と学校が離れているため小学校4年生の頃から自転車通学が始まる。小学校往復10k、中学校往復11k、高校はJR通学で最寄りの駅まで往復8km。
同じような生活環境にあった夫と結婚、出産。成長した長男から「ロードバイクに乗りたい」と一言。中学生で!?一人で!?ロードバイク!?様々なたくさんの心配から、用心棒として夫に長男と一緒に走ってもらうことに。無事に念願叶った長男よりも、最初、「自転車はもういいよー」と言っていた夫が「ロードバイクは今まで知っていた自転車じゃない!」と疾走感、爽快感に感激。
近隣のライドをはじめ、車に自転車を積んでドライブしながらドライブ先でのライドや、先にロードバイクで出発した夫を迎えに行きながらのライドなど、家族で自転車生活を楽しんでいる。

TRIP&TRAVEL CULTURE
下町自転車散歩 #02
江戸・下町のレジェンド 北斎の名残をさがして(その1)

1856年。フランスの若き版画家ブラックモンは知人のコレクションの陶磁器を見せてもらう。陶磁器は当時海外との国交を禁じていた日本から輸入されたもので、おそらく西欧では希少なものであっただろう。しかし彼の目を惹きつけて離さなかったのは器ではなく、その包装紙だった。それは、葛飾北斎の『北斎漫画』の1ページ。絵に感銘を受けたブラックモンは、その後苦労して入手した『北斎漫画』をパリの画家仲間たちに広め、やがて北斎はフランスからヨーロッパで広く知られるようになる。 …という話は残念ながら創作といわれていますが、北斎が当時のヨーロッパ、とりわけクロード・モネやフィンセント・ファン・ゴッホといった若き印象派の画家たちに強い衝撃を与えたことは広く知られています。 海外では「The Great Wave」と呼ばれる富嶽三十六景の「神奈川沖浪裏」など、だれもが一度は目にしたことのある北斎の絵。日本が初めて芸術デザインを取り入れた現行のパスポートには富嶽三十六景から16~24作品が掲載され、神奈川沖浪裏は2024年秋からの1000円札の新札の図案となるなど、今や日本を代表する画家である葛飾北斎。そして何より本コラム「下町自転車散歩」的には、彼は生涯町絵師として地元を愛したお江戸下町っ子の大先輩でもあります。 本日は下町っ子の不肖の後輩が、北斎が生まれ暮らした墨田区を中心に、その人生の足跡を自転車で訪ねていきたいと思います。 目次  1. やがて葛飾北斎となる者、川の町に誕生(1歳~) 2. ティーンエイジャー(10歳~) 1、 やがて葛飾北斎となる者、川の町に誕生(1歳~) 誕生江戸と下総の国をつな […]

#Edokko
TRIP&TRAVEL CULTURE
下町自転車散歩 #02
江戸・下町のレジェンド
北斎の名残をさがして(その2)

葛飾北斎の足跡を自転車でたどる短期連載第2回。今回は、勝川一門に入門し、浮世絵の世界に飛び込んだ20代の北斎から始まります。 目次  1. 相撲の町にて(20歳~) 2. 北斗の人(30歳~) 3. 北斎、葛飾北斎となる(40歳~) 1、 相撲の町にて(20歳~) 北斎は勝川一門に入門わずか1年で勝川春朗を名乗ることを許され、錦絵を製作します。(なお、彼は生涯で画号を30以上変えていますが、本コラムでは北斎で統一します。)当時の浮世絵のモチーフは、美人画、役者絵、そして相撲絵など。 北斎が9歳の1768年、勧進相撲(幕府に認可された公式な相撲)の会場が両国橋からほど近い回向院に移され、以降回向院は1946年まで相撲常設館として賑わいました。当然、北斎も力士の筋肉や動きを観察するため幾度となく通ったことでしょう。 ※訪日外国人の方に向けたドコモバイクシェアの借り方については次のページもご参照ください。訪日外国人の方がドコモバイクシェアを利用する方法 なお、この頃北斎は挿絵の他に匿名で文章も書くことがありました。貸本屋で働いた経験が役立ったのかもしれませんね。 2、北斗の人(30歳~) 破門と天啓 34歳。師匠の勝川春章の没後、北斎の才能を妬んだ兄弟子たちからの嫌がらせなどもあり、北斎は勝川派を飛び出します。その後さまざまな流派の門をたたいて画法を修行しますが、春朗の名前を使うことも禁じられ、唐辛子やカレンダーを売り歩いてしのぐほど極貧の時代だったといいます。 このころの北斎について、柳嶋妙見山法性寺にはこんな話が伝えられています。曰く、北斎が北辰妙見菩薩(北斗七星を象徴した仏)に […]

#Tokyo #Edokko
FEATURE TRIP&TRAVEL
日本三景・松島を満喫する湾岸Sakuraライド

日本の春といえば「桜」。海、山、街。いろとりどりの表情を見せる桜を堪能するサイクリングコースを紹介。第一回となる今回は、日本三景の1つ、宮城県の「松島」をめぐります。仙台空港を出発し、ゴールは国宝瑞巌寺。海岸を進む約50キロの道のりです。桜は松島にどんな色をつけてくれるのか楽しみです。もちろん、「食」もあるのでご安心を。

#Shiogama