CYCLE CINEMA⑫
『イエスタデイ』
偶然がもたらす、もしもの世界

「たら、れば」を語ると嫌われる。

それもそうだ。

「あの時、ああしていたらなあ」とか「もっと、勉強していればなあ」というような話ばかりの人と飲んでいて楽しいはずがない。だが、「仮の話」は想像力をかき立てる。「もし、この世に○○がなければ」というタイプの話だ。

もし、この世にエジソンがいなければ。
もし、この世に手塚治虫がいなければ。
もし、この世にスティーブ・ジョブスがいなければ。

どうだろう。偉大な存在がいなければ、世界が一転する。エジソンの代わりに誰かが電球を発明したのだろうか。映画は存在したのだろうか。手塚治虫がいなければ、マンガはどうなっていたんだろうか。ジョブスがいなければ、私たちはどんなコンピューターを使っていたのだろうか。『イエスタデイ』(2019年)は、「もし、この世にザ・ビートルズが存在しなかったら」という、言うならば思考実験のような映画。パラレルワールド系映画なので、細かな突っ込みはいらない。ただ、身を委ねて楽しむのが一番だ。

元教師で売れないンガーソングライターのジャックはスターを夢見ていた。しかし、友人たちには応援されるものの、ライブはいつも閑古鳥。全く売れる気配がない。ある日、世界の電気が12秒間だけ消えてしまう不思議な現象が起こる。ジャックは唯一の移動手段である自転車(彼は車の運転ができない)で家に帰る途中、バスに跳ね飛ばされてしまう。彼が病院で目覚めると前歯を失っていた。しかし、世界が失った物はそれだけではなかった。この世からビートルズの存在が消えてしまっていたのだ。ビートルズのサウンドが頭の中にあるのはジャックだけ。彼が弾き語りで『イエスタデイ』を歌うと、友人たちは初めて聴く美しいメロディに感動する。やがてビートルズの名曲の数々は、彼の持ち歌として世間の注目を集める。いち早く、ジャックの才能(ビートルズだが)に気づいたエド・シーラン(本人です)はいてもたってもいられず、ジャックの家を訪れる。玄関に置かれていた自転車を見て「ヒデえ」とひと言。衝撃で前輪やチェーンは取れ、後輪は大きくひしゃげてしまっている(ヘルメットが無ければ死んでいただろう!)。エドのサポートもあり、ジャックは瞬く間にスターへの階段を駆け上っていく。しかし、彼の中にジョン、ポール、ジョージ、リンゴという大きな存在をコピーし、ヒットメーカーになっていくことに対して苦悩していく。

映画のはじまりは、コメディなのだけど、映画が進むにつれてミュージシャンの創造性の話へとシリアスな方向へと進んでいく。映画の後半、ビートルズの存在を知る人(実は世界に数名いたのだ)から、この人に会って欲しいとメモを渡される。ジャックはその導きで、海辺で絵を描きフィッシャーマンとして生きるひとりの老人と出会う。その人の名は明かさないが、往年のビートルズファンは感涙のシーンだろう。ああ、この人が生きていたらどんな曲を作ったのだろう。そう思わずにはいられない(ですが、おわかりですよね)。

本作は『BICYCLE CINEMA』と謳うには自転車シーンは多くない。しかし、映画の分岐点となる大切なシーンに登場している。ビートルズが存在しない世界は果たしてどうなっているか。そんな想像と共に映画を楽しんでいただきたい。そして、「もし」を考えて、ヘルメットを忘れずに!

https://www.youtube.com/watch?v=dG0Y507ScL4


🎬CYCLE CINEMA STORAGE🎬
#01 “自転車泥棒”
#02 “プロジェクトA”
#03 “明日に向かって撃て!”
#04 “少年と自転車”
#05 “居酒屋兆治”
#06 “ニュー・シネマ・パラダイス”
#07 “キッズ リターン”
#08 “PERFECT DAYS”
#09 “クレイマー、クレイマー”
#10 “E.T.”
#11 “ガチ星”
#12 “イエスタデイ”
#13 “少女は自転車にのって”
#14 “関心領域”
#15 “アンゼルム”
#16 “男はつらいよ”


Profile

Text_井上英樹/Hideki Inoue
兵庫県尼崎市出身。ライター、編集者。趣味は温浴とスキーと釣り。縁はないけど勝手に滋賀県研究を行っている。1カ所に留まる釣りではなく、積極的に足を使って移動する釣りのスタイル「ランガン」(RUN&GUN)が好み。このスタイルに自転車を用いようと、自転車を運搬する為に車を購入した(本末転倒)。

Illusutration_Michiharu Saotome

CULTURE
CYCLE CINEMA⑲
『イル・ポスティーノ』
詩を運ぶ自転車

1950年代の南イタリア。島で生まれた者にとって、「外」は遠い。マリオの友人たちは次々とアメリカに渡り、島には絵はがきだけが届く。海の向こう「アメリカ」に渡った彼らは、新天地で別の人生を始めている。一方マリオは、漁師の父の手伝いを「風邪気味で」とサボり、行き場のない焦燥感を抱えたまま日々をやり過ごしている。父は言う。「アメリカでも日本でもどこでもいい。とにかく仕事をしろ」。まっとうな意見だ。けれど、まっとうさだけでは届かない場所が、青年のなかにはある。彼はなにかを探している。それがなにかは、まだ彼自身にもわかっていない。 ある日、マリオは自転車に乗って町に出る。入り組んだ海岸線の道を漕ぎ、映画館に入り、ニュース映画のなかにパブロ・ネルーダという詩人を見る。政治的な事情で祖国チリを追われ、この島に身を寄せているという。帰り道、郵便局の前でマリオは一枚の募集要項を見つける。「郵便配達人 募集 要自転車」。応募の条件はたった一つ、自転車を持っていること。これならできる。古い一台の自転車が、彼を世界に接続するための鍵になる。 配達人に採用されたマリオは、毎日パブロの家まで自転車を漕ぐ。最初はぎこちない関係だったが、少しずつ距離が縮まっていく。マリオは取り寄せたパブロの詩集を開き、生まれて初めて「隠喩(メタフォレ)」という言葉に出合う。わからないながらに、言葉の持つ力に惹かれていくマリオ。詩を書きたい、と打ち明けたマリオに、パブロはこう答える。「ゆっくり岸を歩きなさい。周囲を見ながら」。詩は、移動と観察のなかにある。歩くこと、自転車を漕ぐこと、すべてに詩は潜んでいるのだ。 言葉が彼を変え […]

#Cinema #Colunm
CULTURE
CYCLE CINEMA⑤
『居酒屋兆治』
函館の坂道を自転車で行く健さんの格好良さよ

北海道を鉄道で旅していたとき、奇妙なアナウンスがあった。ドラマ撮影のため、次の駅の名前が変わっているから気をつけろという。車内がざわめいた。北海道・富良野を舞台にした人気ドラマだったからだ。列車は駅に着いたが、撮影隊らしきものを通り越してしまった。すると、ホームの隅に背の高い男性がいるのが見えた。帽子を深くかぶってはいたが高倉健だとすぐにわかった。恐らく、旧知の友(田中邦衛)の撮影現場に陣中見舞いに訪れたのだろう。僕らの視線に気がついた健さんは、はにかみながら片手を上げて挨拶してくれた。圧倒的な格好良さだった。以来、「世代」ではないけれど、高倉健の主演する作品を観るようになった。

#Cinema #Column
CULTURE
CYCLE CINEMA⑯
『男はつらいよ 寅次郎頑張れ!』

「あの映画を観ていないと、人生を損している」。そんなふうに語る人がいる。趣味は人それぞれだし、どんな映画を観るかは本人の自由だ。だけど『男はつらいよ』シリーズをまだ観ていない人には、そっと背中を押したくなる。「一度観てみても、いいんじゃないかな」と。あの作品には、日本の喜劇のエッセンスがぎっしり詰まっている。 主人公は、葛飾・柴又生まれの寅さん(渥美清)。口は悪いが人情に厚く、困っている人を見過ごせない性分。生業は露天商で、いわば風来坊だ。だが、柴又には団子屋「とらや」を営む親戚がおり、妹のさくら(倍賞千恵子)もそこで働いている。寅さんは年に何度か、ふらりと「とらや」へ帰ってくる。 そのたびに、騒動が起こる。家族やご近所を巻き込んだドタバタ劇は、笑いと涙を連れてやってくる。そして、もうひとつの見どころが、作品ごとに登場するマドンナたち(吉永小百合、浅丘ルリ子、大原麗子、いしだあゆみ!)。寅さんは毎回、ピュアな心で恋に落ちる。でも、結末は決まっている。彼は振られ、また旅に出るのだ。この「出会いと別れ」の繰り返しが、シリーズ全体をひとつの壮大な“失恋の叙事詩”にしている。 寅さんは運転免許を持っていないので、移動手段は列車か徒歩。そして、時には自転車にも乗る。とはいえ、それはたいてい人から借りたもの。サイズが合わないせいか、がにまたで漕ぎながら、流行歌を口ずさむ。格好いいおっさんだ。 『男はつらいよ 寅次郎頑張れ!』(1977年、山田洋次監督)は、そんな寅さんが「恋の指南役」として奮闘する一本。若い男女の恋を応援しようと立ち回るうちに、いつの間にか自分も恋に落ちてしまうという寅さん […]

#Colunm