CYCLE CINEMA③
『明日に向かって撃て!』 悲劇前、自転車に乗る軽やかな時間

時折、素晴らしい映画の邦訳に出合う。例えば『An Officer and A Gentleman』(将校と紳士)は『愛と青春の旅立ち』。若さと愛が溢れている。観たいじゃないですか。『THE BODY』(死体)は『スタンド・バイ・ミー』。「死体の時のリバー・フェニックスは大スターの片鱗があったよね」なんて言わなくてよかった。挿入歌であるベン・E・キングの名曲から取った良いタイトル。

しみじみ、良いタイトルだなあと思うのが『明日に向かって撃て!』(1969年)だ。原題は『Butch Cassidy and the Sundance Kid』。ブッチ・キャシディとサンダンス・キッドは、19世紀末のアメリカで活動した二人の無法者。映画公開当時のアメリカ人なら、誰もが知る無法者だった。日本で言うと、石川五右衛門(いしかわごえもん)と服部半蔵のような感じだろうか(違うかもしれない)。それにしても、なんと素晴らしい言語表現だろう。明日はなかなか撃たない。

映画の舞台は西部開拓時代が終わりを告げる頃。強盗団のボスであるブッチ(ポール・ニューマン)と、早撃ちの名手サンダンス(ロバート・レッドフォード)は列車強盗に成功する。当時珍しかった自転車をブッチが買い、恋人のエッタ(キャサリン・ロス)を自転車に乗せてデートをするシーンが実に印象的だ。バート・バカラックの『雨にぬれても』が流れる映画史に残る名シーン。映画を観ていなくても、この曲を耳にしたことのある人は多いはず。なお、自転車メーカーは謎のようで、19世紀末にアメリカで販売されていたランブラー社製に似せて作った映画小道具ではないかという考えが有力のようだ。

2人乗りしたり、曲芸をしたりと軽やかにブッチは自転車を乗りこなす。しかし、無法者たちが活躍できた時代は終わりを告げ、時代は近代化していた。無法者たちは時代遅れの存在になりつつあったのだ。時代遅れの無法者が“最新式”の自転車に興じるシーンは、その後の悲劇的な結末をより際立たせている。時代に取り残されてしまった者たちの死は、すぐ傍にあったのだ。

🎬CYCLE CINEMA STORAGE🎬
#01 “自転車泥棒”
#02 “プロジェクトA”
#03 “明日に向かって撃て!”
#04 “少年と自転車”
#05 “居酒屋兆治”
#06 “ニュー・シネマ・パラダイス”
#07 “キッズ リターン”
#08 “PERFECT DAYS”
#09 “クレイマー、クレイマー”
#10 “E.T.”
#11 “ガチ星”
#12 “イエスタデイ”
#13 “少女は自転車にのって”
#14 “関心領域”
#15 “アンゼルム”
#16 “男はつらいよ”


Text_井上英樹/Hideki Inoue

兵庫県尼崎市出身。ライター、編集者。趣味は温浴とスキーと釣り。縁はないけど勝手に滋賀県研究を行っている。1カ所に留まる釣りではなく、積極的に足を使って移動する釣りのスタイル「ランガン」(RUN&GUN)が好み。このスタイルに自転車を用いようと、自転車を運搬する為に車を購入する予定(本末転倒)。

Illusutration_Michiharu Saotome

CULTURE
CYCLE CINEMA⑬
『少女は自転車にのって』
女性が自転車に乗れない世界の物語

映画のおもしろいところは、多様な世界を見せてくれることだろう。マフィアの血の歴史を。遠い星で起こった戦争を。殺し屋と少女の出会いを。幕末の侍の生涯を。絶体絶命の兵士を。湖畔で襲いかかる殺戮者との戦いを。国境や時代、時空を越えて、私たちに驚きと感動を与えてくれる。 『少女は自転車にのって』(2012年)はアカデミー賞外国語映画賞やヴェネツィア国際映画祭国際映画祭にノミネートされたサウジアラビア映画(ドイツ共同制作)。監督と脚本を担当したハイファ・アル=マンスールはサウジアラビア初の女性映画監督だ。 物語はサウジアラビアの首都リヤドで始まる。主人公は10歳の少女ワジダだ。頭の回転が速く、小銭を貯める能力に長けている。その彼女の夢は自転車に乗ること。お金を貯めて自転車を買い、男友だちと自転車競走がしたいのだ。これを聞いた人は「はいはい、途上国の貧困映画ね」と思われるかもしれない。違うのだ。彼女の家はおそらく中流家庭より上。素敵なリビングには大型テレビやゲーム機がある。母の仕事の送り迎えにはドライバーがいる(乗り合いだけど)。基本的に生活には困りごとはない。両親は真面目に働き、彼女に愛情を注いでくれる。お金に困っていないのに、なぜ自転車を買えないのか。それは、女の子が自転車に乗ってはいけないから。 私たちの常識から考えると驚きの女性差別が劇中に登場する。学校でも大きな声で話してはいけない(男性に聞かれてはいけない)。顔や体のラインがわからないようヒジャブなどで覆わなくてはならない。婚姻前の年頃の男女が外で会ってはならない。ラジオでロックを聴いてはいけない(これは女性だからというわけでは […]

#Colunm #Wadjda
CULTURE
CYCLE CINEMA⑫
『イエスタデイ』
偶然がもたらす、もしもの世界

「たら、れば」を語ると嫌われる。 それもそうだ。 「あの時、ああしていたらなあ」とか「もっと、勉強していればなあ」というような話ばかりの人と飲んでいて楽しいはずがない。だが、「仮の話」は想像力をかき立てる。「もし、この世に○○がなければ」というタイプの話だ。 もし、この世にエジソンがいなければ。もし、この世に手塚治虫がいなければ。 もし、この世にスティーブ・ジョブスがいなければ。 どうだろう。偉大な存在がいなければ、世界が一転する。エジソンの代わりに誰かが電球を発明したのだろうか。映画は存在したのだろうか。手塚治虫がいなければ、マンガはどうなっていたんだろうか。ジョブスがいなければ、私たちはどんなコンピューターを使っていたのだろうか。『イエスタデイ』(2019年)は、「もし、この世にザ・ビートルズが存在しなかったら」という、言うならば思考実験のような映画。パラレルワールド系映画なので、細かな突っ込みはいらない。ただ、身を委ねて楽しむのが一番だ。 元教師で売れないンガーソングライターのジャックはスターを夢見ていた。しかし、友人たちには応援されるものの、ライブはいつも閑古鳥。全く売れる気配がない。ある日、世界の電気が12秒間だけ消えてしまう不思議な現象が起こる。ジャックは唯一の移動手段である自転車(彼は車の運転ができない)で家に帰る途中、バスに跳ね飛ばされてしまう。彼が病院で目覚めると前歯を失っていた。しかし、世界が失った物はそれだけではなかった。この世からビートルズの存在が消えてしまっていたのだ。ビートルズのサウンドが頭の中にあるのはジャックだけ。彼が弾き語りで『イエスタデイ』を […]

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