CYCLE CINEMA④
『少年と自転車』
父に捨てられた少年は自転車に乗り希望を探す

『少年と自転車』(2012年、ダルデンヌ兄弟監督)はその名の通り、少年と自転車が物語の中心となって話が進む。主人公はベルギーの児童養護施設で暮らしている少年シリル。ある日、父との携帯電話が不通になってしまう。アパートの管理人に連絡をしても「引越しした」と言う。信じられるわけがない。息子に黙って引っ越すなんて。しかも、大切な移動手段である自転車は父のアパートに置いたままだ。シリルは施設を逃げ出し、部屋を訪れるが、管理人が言う通り引っ越した後だった。自転車も見当たらない。シリルは父に捨てられたのだ。

父を捜索する過程で、美容室を経営するサマンサに偶然出会う。サマンサは近所の子どもがシリルの自転車に乗っていることを伝える。シリルは「盗まれた!」と言うが、実は父が金に換えていたのだ。サマンサは自転車を買い戻し、シリルにプレゼントする。自転車さえあれば広範囲で父を探すことができる。理不尽な人生に直面したシリルにとって自転車は希望だった。優しい彼女との出会いが嬉しかったのだろう。サマンサに「週末の里親」になって欲しいと頼み込み、彼女はそれを受け入れる。この展開や発想が、日本映画にはないのだが、そんなことは気にせず物語は続く。やがてふたりは父を探し出すが、「僕には荷が重い」「もう会いに来るな」と父は育児放棄を宣言する。父を失ったその代わりに、少年はサマンサと少しずつ心を通わせていく。

シリルの移動はほぼ自転車だ。つまり、彼の世界は自転車の移動距離と等しい。だが、この自由の象徴でもあるクロモリのMTBを何度も盗まれる。「お前、鍵しろよ!」と、心の中で突っ込むだけど、シリルには伝わらない。自由に鍵などいらないのだ(いや、しろ)。案の定、自転車が盗まれた挙げ句に面倒な事態になってしまうのだが。

先述した通り、物語の範囲は少年が自転車で行ける距離で完結する。心から愛する父はすぐそばにいるのに、「本当の親」との心の距離は果てしなく遠い。劇中、シリルとサマンサが自転車で移動するシーンがある。ふたりの関係は親子の姿そのもので、この新しい家族はきっとうまくいくのだろうと思わせてくれる。シリルは言葉ではなく、行動(ほとんどが衝動的な暴力なのだが)で多く語る。言葉で気持ちを多く語らない。しかし、自転車に乗るシーンでは幸せな気持ちを饒舌に体現していた。『少年と自転車』は哀しくも、希望に満ちた作品だ。

🎬CYCLE CINEMA STORAGE🎬
#01 “自転車泥棒”
#02 “プロジェクトA”
#03 “明日に向かって撃て!”
#04 “少年と自転車”
#05 “居酒屋兆治”
#06 “ニュー・シネマ・パラダイス”
#07 “キッズ リターン”
#08 “PERFECT DAYS”
#09 “クレイマー、クレイマー”
#10 “E.T.”
#11 “ガチ星”
#12 “イエスタデイ”
#13 “少女は自転車にのって”
#14 “関心領域”
#15 “アンゼルム”
#16 “男はつらいよ”


Text_井上英樹/Hideki Inoue

兵庫県尼崎市出身。ライター、編集者。趣味は温浴とスキーと釣り。縁はないけど勝手に滋賀県研究を行っている。1カ所に留まる釣りではなく、積極的に足を使って移動する釣りのスタイル「ランガン」(RUN&GUN)が好み。このスタイルに自転車を用いようと、自転車を運搬する為に車を購入する予定(本末転倒)。

Illusutration_Michiharu Saotome

CULTURE
CYCLE CINEMA⑫
『イエスタデイ』
偶然がもたらす、もしもの世界

「たら、れば」を語ると嫌われる。 それもそうだ。 「あの時、ああしていたらなあ」とか「もっと、勉強していればなあ」というような話ばかりの人と飲んでいて楽しいはずがない。だが、「仮の話」は想像力をかき立てる。「もし、この世に○○がなければ」というタイプの話だ。 もし、この世にエジソンがいなければ。もし、この世に手塚治虫がいなければ。 もし、この世にスティーブ・ジョブスがいなければ。 どうだろう。偉大な存在がいなければ、世界が一転する。エジソンの代わりに誰かが電球を発明したのだろうか。映画は存在したのだろうか。手塚治虫がいなければ、マンガはどうなっていたんだろうか。ジョブスがいなければ、私たちはどんなコンピューターを使っていたのだろうか。『イエスタデイ』(2019年)は、「もし、この世にザ・ビートルズが存在しなかったら」という、言うならば思考実験のような映画。パラレルワールド系映画なので、細かな突っ込みはいらない。ただ、身を委ねて楽しむのが一番だ。 元教師で売れないンガーソングライターのジャックはスターを夢見ていた。しかし、友人たちには応援されるものの、ライブはいつも閑古鳥。全く売れる気配がない。ある日、世界の電気が12秒間だけ消えてしまう不思議な現象が起こる。ジャックは唯一の移動手段である自転車(彼は車の運転ができない)で家に帰る途中、バスに跳ね飛ばされてしまう。彼が病院で目覚めると前歯を失っていた。しかし、世界が失った物はそれだけではなかった。この世からビートルズの存在が消えてしまっていたのだ。ビートルズのサウンドが頭の中にあるのはジャックだけ。彼が弾き語りで『イエスタデイ』を […]

#Cinema #Colunm
CULTURE
CYCLE CINEMA②
『プロジェクトA』 至極の自転車チェイスに浸る

90年代初頭の中国は、今の中国の風景とまるで違った。朝夕には「中国名物」と言われた自転車ラッシュアワーを見ることができた。当時は多くの人々が通勤に自転車を利用していた。数千の人々が同じ道を走る様子は圧巻だった。しかも、ほぼ同じ車種で色も同じだったため、ある種の調和があった。『鳳凰』と『永久』という上海のブランドが人気だったように思う。生活を支える交通手段だったので、タフで重厚感のある自転車だった。

#Column #Cinema
CULTURE
CYCLE CINEMA⑰
『国宝』
美しさと恐ろしさの間で

ある歌舞伎役者をインタビューする機会があった。指定された茶室で正座をして窓から外を見ていると、着物姿の人が現れ空を仰ぎ見た。さながら映画のような風景だった。まもなくして茶室に役者が現れた。ふと、私を見て「正座、慣れてないでしょう。どうぞ、足をお崩しになって」と優しく言った。 人間国宝でもあるその役者は、歌舞伎に詳しくない私の質問のひとつひとつに時間をかけ、丁寧に答えてくれた。人間国宝とは、国の「重要無形文化財」に指定された伝統芸能や伝統工芸の分野で、「わざ(技能)」を最高度に体得・実践している個人を指す通称だ。歌舞伎の世界に血筋を持たず、外から歌舞伎の世界に入ったこの役者の苦労はいかほどのものだっただろう。取材は数時間だったけれど、その僅かな時間でも佇まいの美しさや言葉遣い、歌舞伎に対する情熱が伝わってきた。それと同時に、ここに至るまでの努力や時間を想像するだけで恐ろしくなった。この人の美しさは同時に恐ろしさも内包していると感じた。 『国宝』は吉田修一による同名小説の映画化。血筋が支配する歌舞伎の世界に飛び込んだ一人の青年の物語だ。舞台は1960年代の長崎から始まる。任侠の一門に生まれた喜久雄は美しい顔を持つ少年だった。しかし、抗争によって父を亡くし、15歳にして天涯孤独となってしまう。そんな彼の天性の才能を見抜いたのが、上方歌舞伎の名門の当主・花井半二郎。半二郎は喜久雄を引き取り、喜久雄は歌舞伎の世界へ飛び込むことになる。 そこで出会ったのが、半二郎の息子・俊介。生まれながらに将来を約束された俊介と、任侠の血を引く喜久雄。正反対の血筋を受け継ぎ、生い立ちも才能も異なる二人だが […]

#Cinema #Colunm