CYCLE CINEMA⑤
『居酒屋兆治』
函館の坂道を自転車で行く健さんの格好良さよ

北海道を鉄道で旅していたとき、奇妙なアナウンスがあった。ドラマ撮影のため、次の駅の名前が変わっているから気をつけろという。車内がざわめいた。北海道・富良野を舞台にした人気ドラマだったからだ。列車は駅に着いたが、撮影隊らしきものを通り越してしまった。すると、ホームの隅に背の高い男性がいるのが見えた。帽子を深くかぶってはいたが高倉健だとすぐにわかった。恐らく、旧知の友(田中邦衛)の撮影現場に陣中見舞いに訪れたのだろう。僕らの視線に気がついた健さんは、はにかみながら片手を上げて挨拶してくれた。圧倒的な格好良さだった。以来、「世代」ではないけれど、高倉健の主演する作品を観るようになった。

任侠映画で人気を博した高倉健は、1970年代頃から路線変更をしていく。切った張ったのやくざ路線ではなく、誠実なひとりの男(もちろん不器用な)を演じるようになる。『居酒屋兆治』(1982年、降旗康男監督)は函館にある居酒屋を舞台にした物語。哀しい過去を持つモツ焼き屋の店主を高倉健が演じている。

自転車が登場するのは冒頭だ。朝、線路脇にある小さな家を出る高倉健。それを見送る妻役の加藤登紀子。高倉健は店のある金森赤レンガ倉庫へ自転車を走らせる。函館は坂が多い。さすがの高倉健も立ちこぎをする。それすら素敵だ。

店に着くと高倉健は鍵もかけずに自転車を止める。店を眺め、郵便物を受け取り、勝手口から店に入っていく。鍋に火を入れ、炭を掃除し、店を掃除する。よし、きれいになった。店を出ると加藤登紀子が自転車に乗って現れる。「ちょうど良かった。先に行くわよ」とひとりで走り去る加藤登紀子。すぐに追いつき、ふたりで市場に行く。

この数分、自転車が登場するシーンだけで主人公・藤野英治の人柄、悩み、夫婦や周囲との関係性が観客に伝わるようにできている。これが徒歩でもバイクでも自動車でもいけない。やはり自転車だったのだ。高倉健が乗ると、自転車さえも男前の演技をするから不思議だ。小道具としての自転車が生き生きと描写される『居酒屋兆治』。この映画を観ると、馴染みの居酒屋で一杯飲みたくなるだろう。もちろん、飲んだら自転車を押してのお帰りを。ぜひ、主題歌の『時代おくれの酒場』を歌いながら帰って欲しい。

🎬CYCLE CINEMA STORAGE🎬
#01 “自転車泥棒”
#02 “プロジェクトA”
#03 “明日に向かって撃て!”
#04 “少年と自転車”
#05 “居酒屋兆治”
#06 “ニュー・シネマ・パラダイス”
#07 “キッズ リターン”
#08 “PERFECT DAYS”
#09 “クレイマー、クレイマー”
#10 “E.T.”
#11 “ガチ星”
#12 “イエスタデイ”
#13 “少女は自転車にのって”
#14 “関心領域”
#15 “アンゼルム”
#16 “男はつらいよ”


Text_井上英樹/Hideki Inoue

兵庫県尼崎市出身。ライター、編集者。趣味は温浴とスキーと釣り。縁はないけど勝手に滋賀県研究を行っている。1カ所に留まる釣りではなく、積極的に足を使って移動する釣りのスタイル「ランガン」(RUN&GUN)が好み。このスタイルに自転車を用いようと、自転車を運搬する為に車を購入する予定(本末転倒)。

Illusutration_Michiharu Saotome

CULTURE
CYCLE CINEMA⑫
『イエスタデイ』
偶然がもたらす、もしもの世界

「たら、れば」を語ると嫌われる。 それもそうだ。 「あの時、ああしていたらなあ」とか「もっと、勉強していればなあ」というような話ばかりの人と飲んでいて楽しいはずがない。だが、「仮の話」は想像力をかき立てる。「もし、この世に○○がなければ」というタイプの話だ。 もし、この世にエジソンがいなければ。もし、この世に手塚治虫がいなければ。 もし、この世にスティーブ・ジョブスがいなければ。 どうだろう。偉大な存在がいなければ、世界が一転する。エジソンの代わりに誰かが電球を発明したのだろうか。映画は存在したのだろうか。手塚治虫がいなければ、マンガはどうなっていたんだろうか。ジョブスがいなければ、私たちはどんなコンピューターを使っていたのだろうか。『イエスタデイ』(2019年)は、「もし、この世にザ・ビートルズが存在しなかったら」という、言うならば思考実験のような映画。パラレルワールド系映画なので、細かな突っ込みはいらない。ただ、身を委ねて楽しむのが一番だ。 元教師で売れないンガーソングライターのジャックはスターを夢見ていた。しかし、友人たちには応援されるものの、ライブはいつも閑古鳥。全く売れる気配がない。ある日、世界の電気が12秒間だけ消えてしまう不思議な現象が起こる。ジャックは唯一の移動手段である自転車(彼は車の運転ができない)で家に帰る途中、バスに跳ね飛ばされてしまう。彼が病院で目覚めると前歯を失っていた。しかし、世界が失った物はそれだけではなかった。この世からビートルズの存在が消えてしまっていたのだ。ビートルズのサウンドが頭の中にあるのはジャックだけ。彼が弾き語りで『イエスタデイ』を […]

#The Beatles
CULTURE
CYCLE CINEMA⑭
『関心領域』
地獄と天国を自転車が繋ぐ

アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所(以下、アウシュヴィッツ)を題材にした『関心領域』(2024年)は、美しく明るい場面が続く。ご存じのように、ナチス体制のもとで管理・運営されていたアウシュヴィッツは「人類最大の過ちのひとつ」「人類史上最悪の犯罪現場」として悪名高い施設だ。ドイツが占領下に置いた現在のポーランド南部、オシフィエンチム市郊外に建設された。司令官ルドルフ・ヘスの指揮のもと、1940年から1945年にかけて多くのユダヤ人が殺害された。あまりにも多くの人が犠牲となったため、現在でも正確な総数は不明とされ、100万から250万人という説がある。 映画の舞台はルドルフ・ヘスの邸宅。そこには家族が暮らしている。戦時下であっても家の中には家庭の日常があり、子育てや夫婦の会話が交わされる。その日常は淡々と続く。しかし、観客は次第に不思議な違和感を覚える。この家は何かがおかしい。空気のように扱われる使用人たちだろうか。誰かから奪った衣服を嬉しそうに着る夫人だろうか。吠えまくる犬だろうか。おかしな行動をする子どもたちだろうか。違う。「音」だ。音によって、家の「外」で何かが起きていることに気づく。 そう、ヘスの家の隣にはアウシュヴィッツがあるのだ。何かを燃やすボイラーの音、乾いた銃声、命令口調のドイツ語、叫び声、人々が運び込まれる機関車の音。その「音」に囲まれて、ヘスの家族は暮らしている。まともな感覚を持っていれば、音の元を想像する。そんな場所で暮らすことに耐えられないだろう(事実、逃げ出す人もいた)。塀を一枚隔てた場所は地獄なのだから。しかし、すぐ側では普通の暮らしがあり、庭の花を […]

#Colunm #Cinema
CULTURE
CYCLE CINEMA⑯
『男はつらいよ 寅次郎頑張れ!』

「あの映画を観ていないと、人生を損している」。そんなふうに語る人がいる。趣味は人それぞれだし、どんな映画を観るかは本人の自由だ。だけど『男はつらいよ』シリーズをまだ観ていない人には、そっと背中を押したくなる。「一度観てみても、いいんじゃないかな」と。あの作品には、日本の喜劇のエッセンスがぎっしり詰まっている。 主人公は、葛飾・柴又生まれの寅さん(渥美清)。口は悪いが人情に厚く、困っている人を見過ごせない性分。生業は露天商で、いわば風来坊だ。だが、柴又には団子屋「とらや」を営む親戚がおり、妹のさくら(倍賞千恵子)もそこで働いている。寅さんは年に何度か、ふらりと「とらや」へ帰ってくる。 そのたびに、騒動が起こる。家族やご近所を巻き込んだドタバタ劇は、笑いと涙を連れてやってくる。そして、もうひとつの見どころが、作品ごとに登場するマドンナたち(吉永小百合、浅丘ルリ子、大原麗子、いしだあゆみ!)。寅さんは毎回、ピュアな心で恋に落ちる。でも、結末は決まっている。彼は振られ、また旅に出るのだ。この「出会いと別れ」の繰り返しが、シリーズ全体をひとつの壮大な“失恋の叙事詩”にしている。 寅さんは運転免許を持っていないので、移動手段は列車か徒歩。そして、時には自転車にも乗る。とはいえ、それはたいてい人から借りたもの。サイズが合わないせいか、がにまたで漕ぎながら、流行歌を口ずさむ。格好いいおっさんだ。 『男はつらいよ 寅次郎頑張れ!』(1977年、山田洋次監督)は、そんな寅さんが「恋の指南役」として奮闘する一本。若い男女の恋を応援しようと立ち回るうちに、いつの間にか自分も恋に落ちてしまうという寅さん […]

#Tora san