CYCLE CINEMA⑪
『ガチ星』
もがいてもがいて、もがき続ける

人生で没頭できることを見つけられたら、その人生は成功ではないだろうか。もちろん、その没頭できる(つまり好きなこと)ことで生活できればなお良い。さらに、その世界でトップに立ったら最高だ。しかし、世の中は厳しい。子どもの頃から努力して、プロになっても、その世界で活躍できる人は稀だ。

『ガチ星』(2017年)は、元プロ野球選手であった濱島(安部賢一)が主人公の物語。彼は野球選手ではあったが、その心まではプロフェッショナルではなかった。煙草を吸い、酒を飲み、やさぐれていた。ある日、戦力外通告を受け、さらに自堕落な生活に陥る。パチンコや酒に溺れ、さらには親友の妻にまで手を出してしまう。絵に描いたような負け犬だ。

このままでは地の底に落ちる。最後の悪あがきで挑んだのが競輪だった。39歳で競輪学校に入るが、20歳以上も年の離れた若者たちと厳しい訓練の日々が続く。元プロ野球選手といっても、酒や煙草に浸っていたため持久力はなく、教官や他の生徒たちから馬鹿にされる。そんな中、濱島は同郷の同級生である久松に出会う。なぜそれほど打ち込めるのかと濱島が尋ねると、久松は「これしかねえっちゃ」と言う。久松にはプロにならなくてはならない理由があった。久松の魂に触発された濱島は、失った自分を取り戻すために力強く自転車を漕ぎ始め、なんとかプロになることができた。

しかし、プロになってもうだつの上がらない濱島であった。人はすぐには変わらない。クズはいつまでたってもクズであることを証明するかのような男であったが、大事故をきっかけに濱島はある種の悟りの境地にたどり着く。道路で立ち止まり、自問し、自責し、今の自分にできることを知り、「わかった!」と叫ぶ。自分の弱さを認めたのだった。彼は再再再チャレンジを決意する。このシーンがいい。映画『JOKER』に階段で踊るシーンが登場する。アーサーからジョーカーへと変貌する瞬間を数十秒のダンスで表現している名シーンだが、これを思い出した。クズの競輪選手がプロ競輪選手になった瞬間だった。

競輪訓練のシーンでは、教官が「もがけもがけ」と選手たちに言い続ける。「もがく=漕ぐ」をしなくなったとき、自転車は失速し、やがて倒れる。プロであるとは、もがく時間なのかもしれない。人はもがくのをやめたとき、速度が落ちて、その世界から離脱する。この映画はもがくことの大切さと共に、もがけている今の時間が大切な瞬間であることを教えてくれる。見終わったとき、猛烈に自転車を漕ぎたくなる。もがきたくなる。『ガチ星』はそんな映画だ。


🎬CYCLE CINEMA STORAGE🎬
#01 “自転車泥棒”
#02 “プロジェクトA”
#03 “明日に向かって撃て!”
#04 “少年と自転車”
#05 “居酒屋兆治”
#06 “ニュー・シネマ・パラダイス”
#07 “キッズ リターン”
#08 “PERFECT DAYS
#09 “クレイマー、クレイマー”
#10 “E.T.”
#11 “ガチ星”
#12 “イエスタデイ”
#13 “少女は自転車にのって”
#14 “関心領域”


Profile

Text_井上英樹/Hideki Inoue
兵庫県尼崎市出身。ライター、編集者。趣味は温浴とスキーと釣り。縁はないけど勝手に滋賀県研究を行っている。1カ所に留まる釣りではなく、積極的に足を使って移動する釣りのスタイル「ランガン」(RUN&GUN)が好み。このスタイルに自転車を用いようと、自転車を運搬する為に車を購入した(本末転倒)。

Illusutration_Michiharu Saotome

CULTURE
CYCLE CINEMA⑮
『アンゼルム』
巨大「工場」を自転車で行くアーティスト

画家、アーティストのスタジオと聞き、想像するイメージがあると思う。混沌としたデスクには絵筆や絵の具が乱雑に並ぶ。日差しが降り注ぐ大きな窓。その先には美しい庭があるかもしれない。ドイツの現代美術の巨匠アンゼルム・キーファーを描いた映画『アンゼルム』(2023年)はドキュメンタリー作品のスタイルを取る。しかし、監督はヴィム・ベンダース。『パリ、テキサス』『ベルリン・天使の詩』『PERFECT DAYS』などで知られる名匠だ。彼の手にかかると、単なる記録映像ではなく、事実とフィクションが絶妙に混じり合う詩的な映像体験へと昇華される。 キーファーはドイツを代表する芸術家だ。彼の扱うテーマもドイツの歴史、ナチス、戦争、ワーグナー、ギリシャ神話、聖書などをテーマに、砂や薬、鉛などを用いた作品が特徴的だ。フライブルク大学で法律を学ぶが、美術に転じ、1969年にカールスルー工芸術アカデミーに入学。1970年にはデュッセルドルフ芸術アカデミーで絵画を学び、ヨーゼフ・ボイスらに師事した。現在では、現代美術における最重要作家の一人として数えられている。 映画冒頭、キーファーのスタジオが登場する。フランス南部の町・バルジャックにあるスタジオで元は繊維工場だったそうだ。このスケールが大きい。制作で使う素材や道具は専用棚に収納されており、作品を運ぶフォークリフトが走り回る。もはや「工場」と呼ぶにふさわしい広大な空間だ。彼の作品は巨大であり、その制作環境もまた圧倒的なスケールを持つ。そんな広大なスタジオの中を彼は自転車で巡る。作品から作品へ。まるで自らの創造の森を探検するかのように、軽やかに移動する姿が印象 […]

#Cinema
CULTURE
CYCLE CINEMA⑩
『E.T.』
自転車で空が飛べると思った頃

最近のSF映画は難しい。多くの人が『特殊相対性理論』の基本を理解しているため(なんとなくだけど)、いくら科学技術が進歩しても「宇宙人が地球にやってくる」ことは、理論上非常に困難であると思っている。だから、『インターステラー』のように多次元展開したり、『メッセージ』のように過去から未来の時間は同時に存在しているという設定にしたり、『三体』のように三体問題(地球人には解決できない)を乗り越えたりして地球人の前に現れる。まことにややこしい。現代のSF映画では宇宙人を描くことが以前よりも複雑になっている。映画人、苦難の時代だ。 その点、『E.T.』(1982年)のストーリーは明快だ。宇宙人の学者たちが地球に植物採集にやってきて、LAの夜景に見とれていたE.T.(本名不明)は取り残されてしまう。E.T.は心優しきエリオット少年と出会い、兄妹たちと共に親交を深め、地球の機材を使って交信機を作り宇宙船を呼び寄せて星へ帰る。なんてシンプル。 しかし、E.T.はちょっと抜けている(人間より高度な設定ですよね)。そもそも、宇宙船に乗り遅れるし(あとで怒られただろう)、ものを落としたり(人間とほぼ同じ構造の手なのに)、酒を飲んで酔っぱらって失態をおかすなど、かなりやらかし男だ(野口聡一さんは取り残された星で酔って倒れたりはしない)。しかし、ほのぼのさが子どもの心を掴むのだから、彼の人徳というべきなのかもしれないが。 実はこの『E.T.』、かなりの自転車映画でもある。前半、お菓子をまいてE.T.をおびき寄せる時(学者なのに……)にエリオットが乗っていたり、ハロウインの日に月を背景に空を飛ぶシーンなどに […]

#Cinema #Colunm
CULTURE
CYCLE CINEMA③
『明日に向かって撃て!』 悲劇前、自転車に乗る軽やかな時間

時折、素晴らしい映画の邦訳に出合う。例えば『An Officer and A Gentleman』(将校と紳士)は『愛と青春の旅立ち』。若さと愛が溢れている。観たいじゃないですか。『THE BODY』(死体)は『スタンド・バイ・ミー』。「死体の時のリバー・フェニックスは大スターの片鱗があったよね」なんて言わなくてよかった。挿入歌であるベン・E・キングの名曲から取った良いタイトル。

#Column #Cinema