ツール・ド・ブリスベン初開催レポート②
110km、5時間半の時間制限と戦う
ハードなレース

ツール・ド・ブリスベンの開催日は4月14日(日)。総エントリー数は3,209名と初開催にしては非常に多く、スタート/ゴール地点のあるサウスバンクは、早朝から大勢のサイクリストでごった返していました。まずはロードレースであるUCIグランフォンドがエイジクラス毎にウェイブスタートし、続いてエイミーズライドが距離別に分かれてサウスバンクを出発しました。

※この記事は2019年7月の記事の再掲載です。

スタートしてしばらくブリスベン川の右岸を進み、まずはブリスベンの象徴的な橋であるストーリーブリッジを渡ります。ここからは高層ビル群を一望できるので、その眺望をゆっくりと楽しみたいところですが、スタートしてまだ3km地点なのでみなさん脚はフレッシュな状態。加えて景色も見慣れているのか、ペースは非常に速かったとのことです。

都心部は道路が片側2~3車線と非常に広く、しかも日本と同じ左側通行なので違和感なく走ることができます。ただし立体交差が多く、陸橋を上ったり地下道を通ったりと、地味にアップダウンが続くため、ここで集団が一気にばらけてしまいました。


20kmを過ぎたあたりから、ルートの最高地点であるクーサ山への上りに入ります。とはいっても最高地点は279mしかなく、神奈川県秦野市にあるヤビツ峠はもちろん、筑波山にある不動峠よりも低いのです。だからといって油断は禁物。そう、先ほど述べたように獲得標高は少なめですが、制限時間があるのでテンポ良く上らないと足切りという憂き目に。

グランフォンドと言えばエイドステーションで振る舞われる補給食も楽しみの一つでしょう。これを売りにしている日本国内のイベントも少なくありません。ただ、ツール・ド・ブリスベンについては、バナナやリンゴ、水に溶かして飲むタイプのエナジーサプリぐらいしかなく、数もだいぶ少なめでした。とはいえ、まだ初開催なので次回以降に期待しましょう。


車両専用バイパスであるレガシートンネルや、バス専用道路のサウスイーストバスウェイなども完全封鎖。一般市民が参加できる都市部のイベントでここまでの交通規制は、日本ではちょっと考えられません。また、郊外にある広大なカントリーロードでは「野生のコアラやカンガルーに注意」という標識もあり、いかにもオーストラリアらしい風景が楽しめます。



地元オーストラリアの参加者と協力しながら、サウスバンクのゴールに戻ってきた現地在住日本人ライダーはけっこうな上位でフィニッシュ。いくつか設けられたチェックポイントを設定時間内に通過できないと、自動的に45kmの部のルートへ誘導、もしくは足切りされるとのこと。また、参加者の年齢層は幅広く、上位グループは間違いなくハイレベル。その一方で45kmの部に参加した人の中には、クーサ山の上りで自転車を押したり、エイドステーションで長く休む姿も見られたとか。さらに、パンクなどのトラブルが発生した際、メカニックがサポートカーで駆け付ける様子も目撃したとのことで、どんなレベルのサイクリストでも楽しめるイベントと言えそうです。

なお、完走したすべての参加者にはスクエアなデザインのペダルが授与されます。これは記念になりますね。

さて、日本ではあまり知られていませんが、アンナ・メアーズ・ベロドロームで開催されたトラック競技のシックスデイについても紹介しましょう。

EVENT
ツール・ド・ブリスベン初開催レポート<番外編>
音と光のエンターテイメントトラック競技
「シックスデイ」

DJによるBGMや光を駆使した演出など、エンターテイメント性を重視したシックスデイ。その起源は1878年にまで遡ると言われています。かつてはマーク・カベンディッシュやブラッドリー・ウィギンスといったツール・ド・フランスを沸かせた選手たちも参加しており、世界チャンピオンやオリンピアン、そして次世代のスターたちの走りビール片手に間近で見られるとあって、特にヨーロッパでは大人気です。

#Australia
EVENT
自宅でファンライド!
取材歴30年ジャーナリストはこう観る
ツール・ド・フランス2024 #01

※TOP写真/ツール・ド・フランスは片側1車線のD線(日本の県道に相当)を使う ©A.S.O. Pauline Ballet 真夏のフランスを23日間かけて一周するツール・ド・フランスが日本で注目されたのは、1985年にドキュメンタリー番組の「NHK特集」で報道されたのがきっかけだった。過酷なアルプスやピレネーを越えて、たった1枚しかない黄色いジャージ、マイヨジョーヌを目指して走る。箱根駅伝のようにいい区間もあれば悪い区間もあって、そこにドラマが生まれる。日本のスポーツファンの心を射止めるのは当然で、日本にロードバイクブームを巻き起こすほどの影響力があった。 今回の原稿を担当するボクは1989年から現地取材する記者。ツール・ド・フランスの存在を初めて知ったのは、小学校の図書室にあった『くまのパディントン』(マイケル・ボンド著)シリーズの『パディントン、フランスへ』。パディントンが偶然ツール・ド・フランスに出場してしまい、スプリント賞を獲得するという奇想天外な話だった。 目次 1 ツール・ド・フランスとは2 これぞフランス!3 美と落車のわけ 1 ツール・ド・フランスとは ツール・ド・フランスにはさまざまな賞が設定されていて、深みにハマれば興味は尽きないが、一番大事なことは極めてシンプルだ。毎日マラソンのような一斉スタートのレースを行って、その日までの所要時間を算出する。その合計が最も少ない選手が首位となり、マイヨジョーヌを着用する。23日間のレースが終わってマイヨジョーヌに袖を通した選手が個人総合優勝者となる。 ツール・ド・フランスが世界最大の自転車レースとなったのは、このフラ […]

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