#01 夜明け前
クレイジーな旅が再び〜2025年へ漕ぎ出す〜
#02 波、来たれり
2025年開催のThe Japanese Odyssey(以下、TJO)に向け、Global Ride編集部がお届けするフォトグラファー・下城英悟氏による連載エッセイ第二弾。時は2016年、TJO第二回開催を明日に控えた夕刻。親日家でありながら前回まで来日経験のないフランス人、エマニュエルとギョームにより企画された日本を漕ぐ旅がいよいよ現実となる前日のこと。代官山にて行われたブリーフィングの場のvibes、そこからのウルトラディスタンスとは。
*前回のエッセイはこちら
#02 波、来たれり
大会に掲げられたハードなチェックポイントの数々と長大な行程、ここに思い当たるのは、これが冒険以外の何ものでもないということ。完走を目指すなら、用意周到に備え、相当な戦略を立て、そのうえで己の限界を問うような努力が求められるだろう。ハードである。これは運営も同様で、準備には相応の時間を要するだろう。それを、たった2人で取り組むということか?しかも、ここは彼らの故郷からはるか遠くの異国、JAPAN。しかし彼らの答えは“Yes”だった。マジか、と心配されても仕方がない。参加者さえ驚く者もいるのだ。それでも、そのことを本気で心配する者は、参加者にほとんどいなかったと思う。その理由として、参加者の半数がトランスコンチネンタルレースなどのウルトラディスタンスレースの経験者、そうでなくとも皆ウルトラディスタンスのセルフサポーテッドの理念を理解、共感していたからに違いないだろう。
2010年代、急速に広がったウルトラディスタンスのコンセプトとムーブメントは、既存スポーツ、ひいてはツーリズムへのカウンターとして生じてきた側面があり、ローカルかつインディペンデントな性格が強い。実際のところ各地のレース運営は、アマチュアサイクリストによる草の根活動に支えられており、運営母体はコンパクト、参加費などもリーズナブルだ。欧米のスポーツコミュニティに根付くアマチュアリズムとボランティアスピリットが、それを可能にしているのだろう。足りないところは、コミットする“オレたち”が補えば解決するさ、そんな大人な解釈がコンセンサスとして機能しているように感じる。これは、TJOの取材を通して実感してきたこと。折に触れて心地よい、絶妙な塩梅の大人の解釈、学ぶべきものを感じる。
3000kmの冒険レースだよ、やろうよ!、お手隙で手伝ってくれたら助かるなあ。暗にそう告げられ、お、OK。と皆が大会の一部になる、そんなイメージ。粗野で、時に乱暴なその要件は、僕にとって抗えない面白さに映ってしまった。その隙間には大きな期待値が秘められている。こと制約の多い日本の常識に照らしては前代未聞で、あり得ない危なっかしさだ。その日常に生きる自分には、望むべくもない自由がそこに見える。想像してしまったら、もう巻き込まれにいくしかない。
この考えは一定の怒りを買う可能性は理解している。危険を黙認している、と。ただ、何事からも“危なさ”を覆い隠し排除すると、それを乗り越える力を失いかねない。創造性が奪われ、こじんまりとつまらなくなる、面白くなくなる。面白くないのは、嫌だ、と僕は思う。そして危険のない世界はない。そこに向き合って人間は歴史を積んできた。危険は隠すものではなく、向き合い対処するものだろう。みなで共有し、答えを導けば良い。それはまた、危険や苦労を買ってでもするウルトラディスタンスな人々の常識でもあった。
TJOブリーフィングに初参加したこの日の終わり、ウルトラディスタンスのムーブメント、その波が日本に到達したことにじんわり感動していた。
🚴♂️第一弾連載はこちら
#01 ウルトラディスタンスという世界へ
#02 2015年、7月18日を目指す
#03 僕の「The Japanese Odyssey」元年へ
#04 クレイジーな設定
#05 “謎”の仕掛け人
#06 日本贔屓の引き倒し
🚴♂️第二弾連載はこちら
#01 夜明け前
#02 波、来たれり
#03 “Be prepared”
#04 動き出すドットたち
🚴♂️The Japanese Odyssey 公式webサイト
https://www.japanese-odyssey.com/
Text&Photo_ Eigo Shimojo
Profile
下城 英悟
1974年長野県生まれ
IPU日本写真家ユニオン所属
2000年フリーランスとして独立、幅広く写真・映像制作を扱うグリーンハウススタジオ設立
ライフワークとしてアンダーグラウンドHIPHOP、世界の自転車文化を追いかける
投稿日:2024.12.06