The Japanese Odyssey Report Season 2
クレイジーな旅が再び〜2025年へ漕ぎ出す〜 #08 最終回
ハードコアでいこう🇦🇺
北欧からのメッセンジャー🇫🇮
君はオッチーを知っているか?🇯🇵

あまりにも手がかりがなく、超距離の、ひっそりと最高に熱いライドイベント「The Japanese Odyssey」(以下、TJO)。その参加者に迫ったフォトグラファー・下城英悟氏によるコラム第二弾も今回で最終回を迎えます。
そして、この謎めいたイベントは私たちの連載中に、2025年の開催概要を明らかにしていました。
今回のキャッチフレーズは “The forgotten Tōge” 。忘れられた峠…!
詳しくはオフィシャルサイトをご確認いただきたいのですが、簡単にここで概要をお伝えしましょう。

スケジュール 2025年10月3日(金)〜13日間と12時間(324時間)*10月2日(木)に福岡でプレイベント開催予定
スタート地点 鹿児島県鹿児島市桜島半島
ゴール地点 長野県松本市アルプス公園
想定走行距離 2,300km(それ以上かも)
想定獲得標高 46,000m(かなり上ります)
チェックポイント 20箇所
https://www.google.com/maps/d/u/1/viewer?mid=1Njnf0QdNpra2GKK825FaxD74JYfOeWY&ll=0%2C0&z=8

特筆すべき点 NGO「JEAN(Japan Environmental Action Network)」と連携
JEANは海洋ごみの清掃や調査を専門とするNGO。2018年、TJOの主催者であるエマニュエルとギョームがふと降りた太平洋側のビーチに海洋ごみが散乱しているのを見てイベントのあり方を含めて考えさせられたことから、今回の連携を決めたそう。寄付を募り、イベント後に送るそうです。

チェックポイントに定められた尋常ではない峠(山)の数々、その獲得標高の高さ…
今年はどんなライダーがどのような「旅」をするのか楽しみです。
それでは、予習がてら過去のTJO参加者の装備、走りにご注目ください。
最後は、初の日本人。ブルベ界隈で知らぬ人はいないあの方が登場します。

*詳細は「The Japanese Odyssey」公式サイトでご確認ください。
https://www.japanese-odyssey.com/

*前回のエッセイはこちら

ハードコアでいこう/STUART EDWARDS (Australia)

オーストラリアから参加したスチュアートは、豪州の離島である自然豊かなタスマニア島出身で、海洋調査に従事する船乗りさん。2015年初開催のジャパニーズオデッセイ(TJO)に、感度高く反応した参加サイクリスト4名のうちの1人。
ウルトラディスタンスレースの原点と言えるトランスコンチネンタルレース(TCR)と、その創設者で伝説的なサイクリスト、マイク・ホールの哲学にも最初期から反応し、TCRは複数回完走しています。歴代TJO参加者の中でも、特に熱量の高い歴戦のサイクリストです。日本橋で初めて出会った時、エンジ色のメリノウールジャージも、ビブタイツではない黒地の短パンも、すでに色褪せて穴があき、その佇まいの玄人感にひるんだものです。初回のTJO2015は、今より1000km以上も長い総距離4200kmもあるハードなルートだったのですが、その唯一の完走者が、この男でした。2回目参加の2016年の彼も、スゴかった。ほとんどの参加者とは全く別発想でルートを逆回転。距離も1.5倍近い距離を好き好んで走って、しかも完走…、お見事!
TJOは、主催者にいわせると自称ユル系ウルトラディスタンスイベントなんだそうですが、開催初期は無名かつカルトなイベントゆえ、彼のようなハードコアサイクリストに会える、追える、撮れる!というのが、取材者のモチベーションをこの上なく高めてくれます。
スチュアートの愛機は英国キネシスバイクのチタン製新世代ディスクロード。彼のリスペクトするマイク・ホールが生前に愛用したウルトラディスタンス特化型グラベルバイクです。ゴール地点の道頓堀、人混みの向こうから、修行僧のようなオーラを纏い、バイクを引きずるように現れた彼にレンズを向けると、街のネオンライトに照らされながら、その表情はなにかに憑かれたよう。人を遠ざけるようなムードに息をのみました。ツアー中の極度の緊張と疲労がそうさせるのか、その後のTJO完走者にも共通したムードです。翌日床屋でさっぱりした彼は、まるで別人のように柔和な雰囲気に一変。
その後、インディアンパシフィックレースやシルクロードマウンテンレースといった超ハードコアカテゴリーのレースを毎年のように完走しつつ、故郷タスマニアでバイクツーリスト向けのゲストハウスを切り盛りするなど、自転車けもの道を爆進する彼から目が離せません。

北欧からのメッセンジャー/SAMI MARTISKAINEN(Finland)

北欧フィンランドの首都ヘルシンキを拠点に、長らくサイクルメッセンジャーとして働くサミー。日々自転車を生業としながら、欧州各地のメッセンジャー競技会や、由緒あるブルベの殿堂パリ=ブレスト=パリ、ロンドン=エディンバラ=ロンドンといったレースへの挑戦もライフワークとしています。メッセンジャーとして日々ストリートを走ることで得た感度の高さから、ウルトラディスタンスムーブメントにも最初期から反応し、黎明期に各地で立ち上がった数々のレースに参加してきました。2016年のTJO参加もそんな彼の“車活”の一貫として。
じつは、サミーの母国フィンランドの新興自転車メーカー、ペラーゴバイシクルとパートナーシップを結ぶジャパニーズオデッセイ。そんな縁から、ペラーゴのクロモリ製ディスクツーリングモデル“SIBBO”を駆って、母国の威信を背負っての出走!かと思いきや、そんな緊張感は全くなく、終始リラックスムード。しかし、落ち着いて温和なそれから想像できない走力と胆力とで、ハードルートを飄々とこなすサミー。チェックポイントに向かう長くキツい峠道にも、“クロモリはやっぱ重いよねー”、と笑顔でスイスイと去っていくその後ろ姿は、速く強い。ルート選定にセンスが光るのも、さすがは生粋のサイクルメッセンジャーです。
フィンランドの美しくも短い夏でも、雪が覆う長く暗い過酷な冬でも、変わらず淡々と自転車で働き、遊び、生活するサミーの日常。そのほんの一部を彼のSNSから垣間見るたび、”自転車”について考える示唆を与えてもらえます。
TJOへの参加理由に、夏の短い北欧にない太陽を求めて、と答えた彼でしたが、熱波、台風、雷雨、濃霧など、あらゆる悪天候に祟られた2016年のTJO。しかし、こちらの心配などよそに好タイムで完走。実際はルートに必要ない北陸から山陰の長い海岸線を、一気通貫たっぷりと余計に走って、たくさん日光浴出来た!と、喜んでいる…、あれにはびっくりしたものでした。

君はオッチーを知っているか?/落合祐介(日本)

“君はオッチーを知っているか?”
2017年のTJOに流星のごとく現れた落合さんとは、この男。初めて日本人参加者3名を迎え、17名の脚に覚えある猛者たちが出走したこの年TJOは、かの松尾芭蕉を敬愛するフレンチオーガナイザー、エマニュエル入魂のルートメイクで、東北深くに分け入る“奥の細道”がテーマでした。序盤の悪天候の中、みちのくの山岳地に理知的かつ暴力的に設定されたタスクは、オーガナイザーの歪んだ愛が詰まった容赦のないものでした。初参加してきた日本人チームがどう走るのか?大きな関心と期待を寄せてドットウォッチしていた僕は、他の参加者のドット群をはるか後方に置き去りにして、日本地図上を驀進するその動きに刮目することとなりました。そのドットこそ、落合さん。
関西地方のブルベ界隈では、いくらか知られた彼でしたが、ほぼ無名。しかし、この年3000km超の総距離と、悪名高いTJOルートを、脅威のタイムで首位フィニッシュし、世界中の好事家ドットウォッチャーたちに名を響かせることとなったのです。
その後も参加したTJOは、毎回悠々と首位フィニッシュ。パリ=ブレスト=パリでは日本人最高順位、国内最高峰ブルベBAJ2400最速、日本列島縦断最速記録ギネス認定、アメリカ横断RAAM完走など、今では我が国が誇るブルベ界、ウルトラディスタンス界の至宝となっています。
巡航速度が速い、山に強い、などサイクリストにはそれぞれ特性や脚質がありますが、彼の最大の特徴は、“眠らない”こと。とにかく一定のペースを維持し、休憩も睡眠も最小最短で走り続け、誰よりも遠くまで走っていく。日々を医療従事者として勤しみながら、欠かさぬロング自転車通勤と、週末ブルベを糧に、未知なるロングディスタンスの世界を切り開く落合さん。
サイクリングとは?の問いに、オッチー答えて曰く「自己覚知…ですかね…」

Text&Photo_ Eigo Shimojo


2016年のTJO概要
テーマ_日本百名山(榛名山、乗鞍岳、剣山、天狗高原、篠山など)
ルート概略_東京・日本橋→群馬県→長野県→奈良県、三重県→山陰地方→徳島県、愛媛県、高知県→大阪・道頓堀
走行距離_約2,400km
獲得標高_約3,500km

🚴‍♂️The Japanese Odyssey Report Series
*第二弾連載はこちら
#01 夜明け前
#02 波、来たれり
#03 “Be prepared”
#04 動き出すドットたち
#05 CARLOS / DAVID / PASCAL
#06 TOM / GUILLAUME / EMMANUEL
#07 TYLER / DANIEL / NICOLAS
#08 STUART / SAMI / YUSUKE

第一弾連載はこちら
#01 ウルトラディスタンスという世界へ
#02 2015年、7月18日を目指す
#03 僕の「The Japanese Odyssey」元年へ
#04 クレイジーな設定
#05 “謎”の仕掛け人
#06 日本贔屓の引き倒し

🚴‍♂️The Japanese Odyssey 公式webサイト
https://www.japanese-odyssey.com/

Profile

下城 英悟
1974年長野県生まれ
IPU日本写真家ユニオン所属
2000年フリーランスとして独立、幅広く写真・映像制作を扱うグリーンハウススタジオ設立
ライフワークとしてアンダーグラウンドHIPHOP、世界の自転車文化を追いかける

EVENT
The Japanese Odyssey Report Season 2
クレイジーな旅が再び〜2025年へ漕ぎ出す〜
#01 夜明け前

日本列島を走りぬく、知る人ぞ知るウルトラロングディスタンスのライドイベント「The Japanese Odyssey(ジャパニーズオデッセイ/以下、TJO)」。Global Ride編集部が敬愛を込めて追跡している、謎めいたこのイベントが2025年に再び開催されるらしいと耳にした。早速webサイトをチェックすると、しばらく更新が途絶えていたTOPページには主催者からの開催予告メッセージが!あのクレイジーな旅*が2年越しに繰り広げられようとは、居ても立ってもいられない。いやいや、とはいえ、数千キロ、グラベルあり、完全自給自足のこの過酷なライドを、当日に向けてどう準備すればいいのか?かつての参加者は己の心身へのプレッシャーをどうやって乗り切ったのか? Be prepared for true solitude. 真の孤独に備えよBe prepared. 準備せよ 開催予告を前に、webサイトに掲載されている主催者のメッセージが漠然とのしかかってくる。 * 2016年に初開催されたTJOの全容を綴った第一弾に続き、参加ライダーそれぞれの個性と装備に迫る連載の第二弾をお届けします。書き手は再び、TJOを語る上で欠かせないフォトグラファーの下城英悟氏。自身もライダーだからこその、ライド愛溢れる鋭い視点を含んだエッセイをここから。 #01 夜明け前 さて、話を巻き戻して2016年、“ジャパニーズオデッセイ元年”から辿ろう。 出走日が間近に迫っていた。英語版の大会要項と、沈黙気味の公式SNSに辟易しながらも、情報を得るべくPC画面と首っ引き。そして都内で大会前のブリーフィングイベントがあるこ […]

EVENT
The Japanese Odyssey Report Season 2
クレイジーな旅が再び〜2025年へ漕ぎ出す〜
#04 動き出すドットたち

日本列島を舞台にした自転車イベントというより旅、いや、旅を超えた旅、冒険、探究、もはや創造、かもしれない「The Japanese Odyssey」(以下、TJO)。連載第二弾のプロローグのラストは、前日のブリーフィング会合を終えた参加ライダーとフォトグラファー・下城英悟氏がいよいよ走り出した行程の回顧から。 *前回のエッセイはこちら #04 動き出すドットたち ブリーフィングの翌日、2016年9月某日、いよいよ初取材に取りかかった僕は、世界中から集まってきた無名のサイクリストたちを、実際に追いかけ回すことになった。乗りかかった船を途中で降りる選択肢はなくなった。日本中にバラバラ散ってゆく点のような彼らを、昼夜の境なく追い、写真に収め、そして道々話を聞かなければならない。以来、毎年秋、愛車の旧式ワンボックスカーを駆り、寝食を惜しんでの取材の日々が始まった。開催期間中の約二週間の移動距離は4000kmにもなった。そんなことを望んだわけではなかったが、そうなっていた。途中で降りる選択肢は、あったのだろうが、見えなかった。寝不足の運転席から見晴るかす先、道という道が、GPSマップ画面上の道とシンクロして無限に伸びている。その先の、満点の星がきらめく夜空で、名もなき一つ星を探し出す孤独な暗闘を繰り返している。ミイラ取りは、おさだまりのミイラになった。得体のしれないこの旅路の虜になっていた。 8年の歳月が経ち、コロナ禍の開催中止を経て、2023年再開した。秋深まる11月、世界中のサイクリストが再び鹿児島桜島に集結し、そこにはウルトラディスタンスサイクリストの懐かしい歓喜があった。8年前に […]

EVENT
噂のThe Japanese Odysseyとは?#06
日本贔屓の引き倒し

目次 1 村上春樹、芭蕉2 ロマンチストたち 1 村上春樹、芭蕉 フランス人の日本贔屓といえば知られるところだが、日本と縁が無いと見えた彼ら(The Japanese Odysseyの主催者であるエマニュエルとギョーム)も、じつは日本の文化に魅了された者たちだった。特に二人の心を惹きつけたのは、欧州でも人気の高い村上春樹の小説群や、芭蕉の俳句といった日本的な叙情文学だったという。 2016年のレースのあとに、初めてインタビューした際、安易なツーリズムやエキゾチズムでは説明のつかない彼らの熱意に、驚いたものだった。文学的な情緒が異邦人の心に火を付け、見知らぬ地まで運んだとすれば、言葉のチカラは偉大と言わざるを得ない。この時点で二人は日本を訪問したことさえなかった。 故郷を走りながら日本への憧憬を育み、構想の実現に向けて動き始めたエマニュエルとギョーム。想いが爛熟した2015年の蒸し返す夏、彼らは、数こそ少ないが、企画に共鳴した仲間たちと車輪の上にいて、日本を走っていた。想いは、山をも動かす。 第一回「The Japanese Odyssey」が開催されたのだった。 2 ロマンチストたち サイクリストの多くは叙情的でロマンチストであると思う。孤独なサドルの上、流れる美しい景色に無言のまま身を委ね、おのおのなにやら饒舌な想いを抱えているものだ。 憑かれたように自転車を駆って目に見えない自由を追い、長い峠道に苦悶しながら、同時に得難い幸せを感じている。エマニュエルとギョームの例もそうだが、世界的なウルトラディスタンスレースのトレンドには、複雑な現代を生きるサイクリストたちの個々の想いが […]