ツアー・オブ・ジャパン大会ディレクター
栗村修さんによる
メレ・オブ・バイシクリング参加レポート

国内最大規模の国際自転車ロードレース「ツアー・オブ・ジャパン」の大会ディレクターを務める栗村さんが「Mele of Bicycling(メレ・オブ・バイシクリング)」に参加してくれました!栗村さんの参加レポートをお届けします。
※現在イベントは終了しています。
※この記事は2021年5月の記事の再掲載です。

栗村修さん参加レポート

グローバルライドイベントさんが企画・運営する新しい形のオンラインイベント「Mele of Bicycling(メレ・オブ・バイシクリング)」に参加いたしました!

こちらのオンラインライドイベント、毎年4月にハワイ・オアフ島のノースショアを走るリアルライドイベントの「ハレイワ・メトリック・センチュリーライド」がコロナ禍の影響で開催中止となったため、新たに形を変えての開催となった新様式のオンラインライドイベントなのです。

日本にいながらハワイを満喫できるということで、早速「Mele of Bicycling(メレ・オブ・バイシクリング)」の公式サイトを熟読してみました。

なるほど、これは新しい!普段自分が走っているエリア周辺のハワイを探し、走行ログと写真を送るだけで、オリジナルグッズがもらえるという、コロナ禍にはピッタリのシステムとなっています

ということで、早速チャレンジしてみました。

今回私が選択したのは「ハーフメトリックセンチュリー(50km)」コース。

他にも、100km/200km/500kmと走りごたえのある距離を選択可能ですが、ツアー・オブ・ジャパン前ということもあるので、半日で走破できるコンパクトな距離を選んでみました。

そしてまずは地元周辺の「ハワイ」を検索!その結果、以下の3箇所の「ハワイ」に辿り着きました。

【1箇所目】コナズ珈琲

https://stores.konas-coffee.com/111214

【2箇所目】Oluolu Aina

https://oluolu-aina.com/

【3箇所目】Holo Holo Cafe

http://holoholocafe.com/

ということで、3箇所の「ハワイ」を巡りつつ50kmを走破してみましたので、簡単にレポートいたします!

「スタート地点はコナズ珈琲。いつも何気なく通り過ぎていた場所ですが、改めて足を止めて写真を撮ってみると、そこは完全にハワイです!」

「2番目のハワイへ向かう途中には五輪ロードレースコースをライド」

「ハワイ語で“心地よい食卓”という意味のOluolu Ainaに到着。後光が差す良い感じの写真が撮れて、もう気分はハワイ!」

「いつもの多摩川の空がなぜかハワイの空に!(笑)」

「最終目的地はハワイの田舎にあるようなリノベーションカフェのHolo Holo Cafe」

「再びコナズ珈琲へ戻ってきてピッタリ50kmを走破しました!」

今回こちらのオンラインライドイベントに参加してみて気付いたことは、改めて「ハワイ」という意識づけをして走ってみると、いつも走っているコースがなんとなくハワイに変化してしまうという不思議な感覚でした。

コロナ禍でまだまだ大変な時間が続いていますが、工夫次第でいろいろな楽しみ方がありますので、是非皆さんもチャレンジしてみてはいかがでしょうか。

 

栗村修さんのライドコースはこちら

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今回は筆者の出身地でもあり、下町を語るのには外せない神田地域を自転車で散策。神田は現在行政区ではなく、皇居のある千代田区の北東部の呼称。ほとんどの町名の頭に「神田」の文字が入っているのが特徴です(話すときは「神田」を省くのが一般的ですが)。春の訪れを感じる風にふかれながら、世界一の本の街とよばれる神保町をぶらぶらしたり、小川町の老舗和菓子店にお話を伺ったり、美術館や神社をめぐったりと、まったりしました。 Text_Shitamachi Kombu 目次 ビジネス街のうるおい、三菱一号館美術館世界一の本の街、神保町御菓子処さゝまにインタビュー梅の季節に神社と聖廟をひと巡り ビジネス街のうるおい、三菱一号館美術館 と、いいつつも始まりは丸の内エリアから。神田のお隣の地域なので、これはもう神田といってもいいでしょう。江戸っ子は細かいことは気にしないものです。 日比谷駅から地上に上がると、交差点にレンガ造りの瀟洒な建物が。明治時代のお抱え外国人建築家、ジョサイア・コンドルの設計によるこの建物は、当初商社の三菱のオフィスとして利用されました。2010年の改装時に、丸の内エリアに必要な施設を熟慮検討の上、ビジネス街にもうるおいをということで、当時のデザインを可能な限り忠実に再現しながら三菱一号館美術館として生まれ変わることに。明治時代の薫香が感じられる建物に飾られた絵や美術作品は、個人的に三割増しくらい魅力的です。今回開催されていたのは、明治~大正時代に日本美術の1ジャンルとなった新版画の展示会。ユニークな試みとして、当館はポッドキャストの配信も開始。学芸員のトークを予習して観覧できるのも […]

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