Circle of Cycling Friends りんとも!
#06 石垣美帆さん

ライドを楽しむ人を繋げます。モデル兼トラベルライターの山下晃和さんからご紹介いただいた今回の「りんとも」はモデルの石垣美帆さん。スポーツ系雑誌のモデルをされている傍ら、ライドイベントへのご出演やインストラクターとしてジムでも教えていらっしゃるそう。ファッションモデル時代、緩やかにできるスポーツをしたいというきっかけから自転車に目覚め、数年後の「ふじあざみラインヒルクライム」で1位を獲得した実力者です。ライドにまつわるお話を伺いました。

目次

 Profile
 1. 愛車を教えてください
 2. お気に入りのサイクリングコースは?
 3. 直近で出場したライドイベントとその感想
 4. 次に参加してみたいライドイベントとその理由
 5. 過去のライド人生における最も印象的な思い出
 6. ライド関係のお気に入りグッズとその理由
 7. あなたにとってライドとは?
 次回ゲストのご紹介

Profile

名前 石垣美帆/Miho Ishigaki
職業 モデル
趣味 なし(趣味で始めた自転車が仕事になりました)
自転車歴 11年
SNS Instagram @ishigakimiho,1
   Facebook ishigaki.miho

1. 愛車を教えてください

Specialized  ROUBAIX SL8 EXPART カメレオンラピス
長い距離を走れ、カメレオンという名の通り光の具合によって色が変化することも気に入っています。ちなみに…最初に買ったのはBianchiのクロスバイク。乗車して帰宅途中、速いバイクに抜かれたのであれはなんだろう…と調べた結果、1ヶ月後にCannondaleを買っていました。

2. お気に入りのサイクリングコースは?

自宅から葛西臨海公園まで。園内にあるカフェで大盛りのカツカレーを食べるのが習慣になっています。大盛りは余裕です笑

3. 直近で出場したライドイベントとその感想

「おいでなせぇ小川町×TOKINO CYCLING FITNESS」のゆるぽたツアー。
埼玉県・小川町を観光するライドツアーで、これまでは仕事で参加していたものの、今回は初めて参加者として申し込みました。自分たちでうどんを打ったりお寺を巡ったりなど、夢に出てくるほど楽しかったです✨

4. 次に参加してみたいライドイベントとその理由

小さなイベントで良いので、ヒルクライムに出てみたいです。自分の原点でもあるので。

5. 過去のライド人生における最も印象的な思い出

実は、イベントよりも練習の方が思い出です。
2018年に佐渡ロングライドのゲストライダーとして走ることが決まりました。1日で210km。経験上、この距離は頑張れば走れなくはなかったのですが、せっかく佐渡まで行くなら翌日遊びたいのでその体力を残さなきゃ…と思いまして。160kmが最高距離だったので、楽により遠くまで走れるよう、自宅から埼玉県の彩湖まで行き、湖の周りのサイクリングコースをひたすら周回するという練習をしました。1回目から210kmを走れはしたのですが、もっと余力を残して走らないと翌日が…と必死でしたね。1日で4,000kcalも消費しました。たいへん辛かったです笑

6. ライド関係のお気に入りグッズとその理由

Ostrichの輪行袋。
実績と安心感がある会社の、手作り輪行袋です。コンパクトに収まる形状と赤の色味が気に入っています。輪行も手早くできると移動がスムーズなので、現在は6分の収納タイムですが4分を目指しています。

7. あなたにとってライドとは?

楽しい時間、でしょうか。コロナ前後から、レース志向だった自分が楽しみを求める方向に変わりました。自転車は年齢や職業、所属を問わず、楽しみ、共有できるツールです。サイクリストであるというだけで集まれば一体感がある。これからは仲間と長く楽しく走りたいと思っています。

🚴‍♂️次回ゲストのご紹介

溌剌とした雰囲気が素敵な石垣美帆さん。話を聞けば聞くほど努力を惜しまない人という印象を受け、これまでのチャレンジに結果がついて来られたのも頷けます。そんな石垣さんがご紹介くださった「りんとも」は…

山口和幸さん/スポーツジャーナリスト

石垣美帆さんよりご紹介↓
ツール・ド・フランスをはじめ、国内外の自転車にまつわるイベントやトピックを取材されている方で、まさにGlobal Rideにぴったりです。ご自身でもロードバイクに乗られており、チャレンジャーでマイルドな雰囲気の素敵なスポーツサイクリストでもあります。




次回もどうぞお楽しみに!

🚴‍♂️今までに登場いただいた、りんともの皆さん🚴‍♂️

TRIP&TRAVEL CULTURE
下町自転車散歩 #02
江戸・下町のレジェンド
北斎の名残をさがして(その2)

葛飾北斎の足跡を自転車でたどる短期連載第2回。今回は、勝川一門に入門し、浮世絵の世界に飛び込んだ20代の北斎から始まります。 目次  1. 相撲の町にて(20歳~) 2. 北斗の人(30歳~) 3. 北斎、葛飾北斎となる(40歳~) 1、 相撲の町にて(20歳~) 北斎は勝川一門に入門わずか1年で勝川春朗を名乗ることを許され、錦絵を製作します。(なお、彼は生涯で画号を30以上変えていますが、本コラムでは北斎で統一します。)当時の浮世絵のモチーフは、美人画、役者絵、そして相撲絵など。 北斎が9歳の1768年、勧進相撲(幕府に認可された公式な相撲)の会場が両国橋からほど近い回向院に移され、以降回向院は1946年まで相撲常設館として賑わいました。当然、北斎も力士の筋肉や動きを観察するため幾度となく通ったことでしょう。 ※訪日外国人の方に向けたドコモバイクシェアの借り方については次のページもご参照ください。訪日外国人の方がドコモバイクシェアを利用する方法 なお、この頃北斎は挿絵の他に匿名で文章も書くことがありました。貸本屋で働いた経験が役立ったのかもしれませんね。 2、北斗の人(30歳~) 破門と天啓 34歳。師匠の勝川春章の没後、北斎の才能を妬んだ兄弟子たちからの嫌がらせなどもあり、北斎は勝川派を飛び出します。その後さまざまな流派の門をたたいて画法を修行しますが、春朗の名前を使うことも禁じられ、唐辛子やカレンダーを売り歩いてしのぐほど極貧の時代だったといいます。 このころの北斎について、柳嶋妙見山法性寺にはこんな話が伝えられています。曰く、北斎が北辰妙見菩薩(北斗七星を象徴した仏)に […]

#Tokyo #Hokusai