サイクリングがアート作品の一部になる!?
『TOUR DE TSUMARI/ツールド妻有』主催者、建築家・伊藤嘉朗さんインタビュー(前編)

ロングライドはサイクリストの楽しみのひとつだろう。毎年、新潟県で開催されている『TOUR DE TSUMARI/ツールド妻有』(以下、『ツールド妻有』) は最大で走行距離120kmを走るコース。タイムトライアルではないため、風景や地元の人たちのもてなしを楽しむことができる。さらに特筆すべき点は、このイベントが移動すること自体をテーマとしたアート作品という点だ。発起人は建築家・サイクリストの伊藤嘉朗(いとうよしあき)さん。2回にわたって『ツールド妻有』の成り立ちについて伊藤さんに話を聞いた。

*後編はこちら

目次



予期せぬ出合い

学生生活から建築事務所を構え仕事をする現在まで都内移動はほぼ自転車

何かに出合い、魂を揺さぶられることがある。ゲーム、音楽、映画、ファッション、車、風景、食べ物、動物、仕事、ライフスタイル。それがどんなものかはわからない。理由や論理的なものはないのだ。ただ、好きになる。それも猛烈に。魂の揺さぶりは、その後の人生を変える。

建築家の伊藤嘉朗さんは、大学生の頃にロードバイクに出合った。以来、移動の大部分が自転車になったのはもちろんのこと、サイクリングイベント『ツールド妻有』を開催するまでに至った。これは越後妻有(新潟県)の里山や信濃川の岸辺を自転車で走るイベント。普通の自転車系イベントと違うのは、アート作品や建築作品などを見ながら走ることができるという点だ。タイムを競うレースではない。しかし、最大で走行距離120kmを走るコースが用意されており、走り応えのあるイベントでもある。2006年の開催以降、伊藤さんを中心に、地域の人々の協力のもと、ほぼ毎年開催されている。

きっかけはサッカーだったと伊藤さんは話す。話は1990年に遡る。

「ワールドカップのイタリア大会を全部見ようとBSの映るテレビを買ったんです。そしたら、外国の自転車レースをやっていて。気がついたら、夢中で盛り上がってしまって……」。伊藤さんが見たのは『ツール・ド・フランス1990』(6月30日~7月22日)だった。約4,000kmを24日間で走破するロードレースで、 黄色いサイクルウェアに身を包んだグレッグ・レモンが2連覇を達成し、通算3度目の優勝を決めた大会である 。

強烈な体験だった『ツール・ド・フランス』

イエローカラーが際立つ伊藤さんの愛車はマシヤーギ社(伊)のファウスト・コッピ

衛星中継で見た『Tour de France/ツール・ド・フランス』は強烈な体験だった。高低差2,000m、走行距離約3,500km。文字通りフランスを一周する過酷なレースだ。国を挙げての大イベント、ロックスターのように声援を受ける選手たち、チームや個人の戦術。伊藤さんは虜になった。「ロードバイクを買うしかない」と、近所のサイクルスタジオであるLEVEL/レベルでクロモリフレームのロードバイクを発注した。それにしても、フレームビルダーで名高い松田志行さんの工場が近所にあるというのも奇妙な縁だ。フレームを調整し、部品を組み合わせていく工程はどこか建築と通じるものがあったという。

体に合ったロードバイクを手に入れた伊藤さんの身体は「拡張」する。日常的に数十kmの自転車移動を楽しむようになったのだ。東京藝術大学を卒業し、建築事務所に勤めるようになっても通勤は自転車。だが、日常に自転車はあったがこの時はまだ自身の表現領域に「自転車」は存在しなかった。

領域を広げてくれたのは友人のアーティスト曽根裕さんだった。ロードバイクを連結し、サークル状にした『19番目の彼女の足』という彼の作品に触れたとき、伊藤さんは「自転車も作品になるのか」と率直に驚いた。「いつか、僕も自転車の映像作品でも作ってみるかな」。彼の中で、またなにかがはじまろうとしていた。

伊藤さんは建築家として活躍すると同時に、アーティストとしても注目を集めるようになる。2000年に『大地の芸術祭』(新潟県越後妻有地域)の準備で現地に滞在したとき、東京から自転車を持って行った。毎日の移動はおよそ20km程度。車社会の地域の人たちからすると大変な驚きだったようだ。毎日のように「え? 自転車で現場に通っているの?」と珍しがられた。すれ違った郵便配達人がバイクで追いかけてきて「その自転車はどこで売っているのか」と聞いてきたほどだ。

自転車とアートが組み合わさったイベントの誕生

作品巡りをしながら走るファミリーライダー

サイクリストにとって、美しい風景は最良の褒美だろう。疲れるどころか刻々と変わる美しい里山の風景に目を奪われた。そして、時折現れる集落を愛おしく感じた。『大地の芸術祭』は、広い地域に作品が散在しており、チケットを買った人は地図を片手に車などで作品を見て回るスタイルだ。展覧会を訪れる人は作品と共に風景を見て回る。この時、想定されるのが車による移動だ。しかし、それでは景色の風や匂いを感じることはできない。こんなに美しい場所なのに。「そうか、場所と場所を繋ぐ作品があればいいのか」。伊藤さんは自転車で場所を巡るという行為自体を作品にしようと思い立った。

数年後、自転車イベント自体を作品にしようとする伊藤さんに対し、展覧会の担当者が思いをぶつけてきた。
「伊藤さん、建築家だったら恒久的に残る作品を作りたくはないんですか?」と。建築作品なら何十年、場合によっては百年以上残るかもしれない。しかし、イベントであれば、開催後は何も残らない。
「なくなってしまうじゃないですか」という問いに、伊藤さんは答えた。
「毎年やれば恒久的な作品と同じじゃないかな」

建築や彫刻といった立体作品は目の前に残る。しかし、継続的に行えば “恒久的な作品”となり得るのではないか。その答えを聞いた担当者の顔がパッと明るくなった。伊藤さんの言葉が、この担当者の魂を小さく震わせたのだ。

つづく

Text_Hideki Inoue

伊藤 嘉朗/Yoshiaki Ito

1965年北海道生まれ。東京芸術大学大学院修了後、建築設計事務所などを経て、2000年伊藤嘉朗建築設計事務所を設立(現一級建築士事務所 イトーサイクル)。建築設計を軸に『小さな家』(大地の芸術祭2000)『ツールド妻有』(大地の芸術祭2006〜毎年開催)『千住屋台計画』『みちのいろ作戦』(aoba+art 2016)『100段階段プロジェクト』など、建築に軸足を置きつつ地域アートイベントやコミュニティ活動に積極的に参加している。

ツールド妻有 2023年9月3日(日)開催!
お申し込みはこちら
http://tdtsumari.info/

EVENT
噂のThe Japanese Odysseyとは?#05
“謎”の仕掛け人

目次 1 誕生の地、ストラスブール2 エココンシャスな仲間3 ウルトラディスタンスへ 1 誕生の地、ストラスブール さて、このあたりでTJOの主催者、謎掛けの真犯人について、すこし話すべきだろう。 世界最大の自転車レース、ツール・ド・フランスを擁するフランス。1791年にパリで自転車の原型が発明されて以来、その伝統と格式、そして誇りを、この国ほど体現し守ってきた国もない。ツールを頂点としながら、フランス全土で催されるレースやイベントの中には100年を超える歴史を持つものもザラだ。そういう文化的土壌が、かのブルベの様式や、その頂点パリ=ブレスト=パリなどを育くみ、世界の自転車文化を牽引してきたといえる。フランス人の中で、それは乗り物以上の存在と言えるのかもしれない。 さて、日本の自転車イベントの話が、なぜかフランスに飛んでしまったが、これには深いワケがある。 場所はフランスの北部、ドイツとの国境地帯アルザス地方の主要都市ストラスブール。この地で物語は始まった。自転車を楽しむに最適な、美しい丘陵が織りなすこの地に育ったエマニュエル・バスチャンとギョーム・シェーファーの2人が、なにを隠そうこの物語の編み手である。 2 エココンシャスな仲間 話は飛ぶが、90年代〜00年代初頭、北米のストリート発のサイクルメッセンジャーカルチャーが世界を席巻していた。サイクルメッセンジャーとは、簡単に言うと都市型自転車宅急便である。インディペンデントかつ実践的なサイクリストコミュニティに根ざしながら、創造的なDIY精神や、今日のSDGs哲学にも先駆けたエコ思想を、サイクリストの体一つで深め、体現しようと […]

EVENT
噂のThe Japanese Odysseyとは?#04
クレイジーな設定

目次 1 チェックポイントとセグメント2 ルートの「妙」 1 チェックポイントとセグメント 2016年のイベントは東京日本橋を出走し、全国各地に散りばめられた11箇所の山岳チェックポイント(以下CP)を経て、会期2週間以内に終着地大阪道頓堀を目指す。 総距離にして約2500~3000kmの道程になるだろうか。 前年に増してクレイジーの度合いが増している。 日本橋〜道頓堀といえば、よく知る東海道で、国道1号線を使えば550kmほどの距離のハズ。 が、何をどうしたら3000kmなのか。謎を解く鍵はやはりCPだ。 以下に2016年の完走要件となったCPを挙げてみよう。 The Japanese Odyssey 2016 全チェックポイント ①草津白根山(群馬)②榛名山(群馬)③大河原峠(長野)④入笠山(長野)⑤乗鞍山(長野)⑥木曽御嶽山(長野)⑦大台ヶ原山(奈良三重県境)⑧剣山(徳島)⑨天狗高原(高知県)⑩篠山(愛媛・高知県境)⑪安蔵寺山(島根) 変態好事家サイクリストたちをなら存分喜ばせる自転車的名所と言えなくもない、いずれも長距離登坂をともなう高強度な峠の難所である。 それらが本州~四国にかけて幅広く、また意地悪く分布する。 参加者は事前ルート設定に相当苦しんだことは想像に難くない。 ブルベと同様、この手のレースの通例として、参加者各々のルート設定は当然各人の準備に任されている。 だが、相手はブルベを遥かに凌ぐ長大な道のりである。 2週間の長い期間と3000kmの総距離を通じて、CPをいかに効率よく、または効率無視で面白くつないでルートを切るか、各サイクリストの経験はもちろん、6 […]

EVENT
噂のThe Japanese Odysseyとは?#02
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日本で開催される超長距離、超絶コアなライドイベント「The Japanese Odyssey」を追いかけ続ける写真家・下城英悟氏による連載エッセイ。第二弾はウルトラロングディスタンスを支える自助の精神と、初めての参加…?に至るまでの道のりについてお届けする。 目次 1 ウルトラディスタンス(超長距離)とセルフサポーテッド(自助)2 さきがけの「The Transcontinental Race」 1 ウルトラディスタンス(超長距離)とセルフサポーテッド(自助) あらためて「The Japanese Odyssey(以下TJO)」の特徴を端的に表すキーワードは2つ。 文字通りの”ウルトラディスタンス”(超長距離)、そして、”セルフサポーテッド”(自助)の精神だろう。 レースの多くは数百〜数千キロの設定ルートを、1~2週間の制限時間内での自力完走を目指す。 いわゆる耐久レースとはいえ、TJOは距離と所要時間がアマチュアレースの常軌を逸していた。 完走を目指せば、昼夜なく走ること必至という「ウルトラディスタンス」な事実が出走者に迫り、同時にセルフサポーテッドの難易度も距離に比例して高くなる。 およそ一般化しそうもない様式が、しかし瞬く間に世界中で受け入れられ、広まっていった。 のみならず、ややもすれば閉塞がちな業界に力強いトレンドさえ生み出しかねない勢いがあった。 競技団体やメーカー主導のスポンサードレースでは決してないにもかかわらず。 アマチュアサイクリストたちの想いを繋いで生まれ出たカルチャーである、と声高に言いたい。 サイクリングのエッセンシャルな魅力であるロングライドの範疇を […]