CYCLE CINEMA⑱
『レッド・ロケット』
止まらない、ギリギリの速度で

人は、帰りたくない場所へも帰らなければならないときがある。マイキーにとって故郷は、その種類の場所だった。彼が戻ってきたのは、かつて妻と暮らしていたテキサスの家。しかし、関係はとっくに切れている。「しばらく住ませてくれ」と頼むマイキーに対し、妻レクシーは取り付くしまがない。生活に困っているレクシーと義母リルに対して、週200ドルの家賃を払う条件で、マイキーはリビングのソファーを寝床として使うことになる。かつてハリウッドでポルノ俳優として名を知られていた時期もあったが、いまではその栄光は影のようだ。ハリウッドでも居場所を失い、ほとんど無一文で戻ってきたのだった。

週200ドルを支払わなければ、この場所からも追い出される。彼に行く場所はもうない。敷地に放置されていた古びた自転車にまたがり、仕事を求めて面接に向かう。車移動が当たり前のこの町で、自転車は大人の移動手段とは言いがたい。長い年月を経て、彼は元の地点に巻き戻されてしまったかのようだ。荒れた道路の端を汗をかきながらペダルを漕ぐ。自転車は彼の生のかたちそのものだ。前に進んでいるはずなのに何も変わらない。遠くへ行けるわけでもない。今あるものを「とりあえず繋ぎ止める」ためだけの最低限の速度。速度を少しでも緩めると倒れてしまう。自転車は、彼の人生の姿勢をそのまま象徴している。

それでも、彼の中にはかすかな優しさがある。車椅子の人の前では速度を落とす。それは特筆すべきほどの優しさではなく、ただ身体が覚えてしまった癖のようなものだ。決してすさんだ人間ではないのだろう。けれど、その小さな思いやりが彼の人生を大きく修正するほどの力を持つわけではない。

いくつかの面接に落ちる。経歴は元ポルノ俳優のみだが、問題はそこではない。面接官たちは、言葉の裏側にある「空白」を見抜いてしまう。彼の言葉には実体が伴っていないことが、すぐにわかってしまうのだ。旧知のマリファナディーラーの家に出入りし、学生や労働者にマリファナを売るようになる。アメリカ社会におけるマリファナという存在の軽さとマイキーの空虚さが噛み合い、この商売は妙にうまくいく。ただ、それだけなら彼はまだ傷を広げずに済んだかもしれない。しかし、彼は空っぽであると同時に、何かを渇望しているのだ。それは成功でも金でもなく、もっと形にならない欲望だから始末に負えない。誰かの視線や反応が必要なのだ。稼ぎに余裕が出てきた彼は、ドーナツショップで働く高校生ストロベリーに心を奪われる(いい年をしたおっさんなのに!)。恋でも搾取でもなく、その中間にある、言葉にならない必死さが痛々しい。やがて、マイキーはストロベリーを利用して業界に戻る計画を練りはじめる。

ショーン・ベイカー監督は一貫して、社会の片隅にいる市井の人を撮る。16mmフィルムのざらついた光でこの物語フィルムに収めている。監督はマイキーを断罪せず、肯定もせず、マイキーの今だけを静かに提示する。高級車を持っていたという嘘と、古い自転車に乗る現実。その対比が、マイキーという人間の輪郭を際立たせる。どこかへ向かっているようで、実は同じ場所をぐるぐると回っているだけ。前に進んでいるようで、何も変わっていない。映画では過去も未来も説明しない。この先どうなっていくのだろう。観客は想像する。マイキーの未来を。しかし、誰一人マイキーの成功を予想しないだろう。


Text_井上英樹/Hideki Inoue


🎬CYCLE CINEMA STORAGE🎬
#01 “自転車泥棒”
#02 “プロジェクトA”
#03 “明日に向かって撃て!”
#04 “少年と自転車”
#05 “居酒屋兆治”
#06 “ニュー・シネマ・パラダイス”
#07 “キッズ リターン”
#08 “PERFECT DAYS”
#09 “クレイマー、クレイマー”
#10 “E.T.”
#11 “ガチ星”
#12 “イエスタデイ”
#13 “少女は自転車にのって”
#14 “関心領域”
#15 “アンゼルム”
#16 “男はつらいよ”
#17 “国宝”
#18 “レッド・ロケット”

Profile

Text_井上英樹/Hideki Inoue
兵庫県尼崎市出身。ライター、編集者。趣味は温浴とスキーと釣り。縁はないけど勝手に滋賀県研究を行っている。1カ所に留まる釣りではなく、積極的に足を使って移動する釣りのスタイル「ランガン」(RUN&GUN)が好み。このスタイルに自転車を用いようと、自転車を運搬する為に車を購入した(本末転倒)。

Illusutration_Michiharu Saotome

CULTURE
CYCLE CINEMA⑰
『国宝』
美しさと恐ろしさの間で

ある歌舞伎役者をインタビューする機会があった。指定された茶室で正座をして窓から外を見ていると、着物姿の人が現れ空を仰ぎ見た。さながら映画のような風景だった。まもなくして茶室に役者が現れた。ふと、私を見て「正座、慣れてないでしょう。どうぞ、足をお崩しになって」と優しく言った。 人間国宝でもあるその役者は、歌舞伎に詳しくない私の質問のひとつひとつに時間をかけ、丁寧に答えてくれた。人間国宝とは、国の「重要無形文化財」に指定された伝統芸能や伝統工芸の分野で、「わざ(技能)」を最高度に体得・実践している個人を指す通称だ。歌舞伎の世界に血筋を持たず、外から歌舞伎の世界に入ったこの役者の苦労はいかほどのものだっただろう。取材は数時間だったけれど、その僅かな時間でも佇まいの美しさや言葉遣い、歌舞伎に対する情熱が伝わってきた。それと同時に、ここに至るまでの努力や時間を想像するだけで恐ろしくなった。この人の美しさは同時に恐ろしさも内包していると感じた。 『国宝』は吉田修一による同名小説の映画化。血筋が支配する歌舞伎の世界に飛び込んだ一人の青年の物語だ。舞台は1960年代の長崎から始まる。任侠の一門に生まれた喜久雄は美しい顔を持つ少年だった。しかし、抗争によって父を亡くし、15歳にして天涯孤独となってしまう。そんな彼の天性の才能を見抜いたのが、上方歌舞伎の名門の当主・花井半二郎。半二郎は喜久雄を引き取り、喜久雄は歌舞伎の世界へ飛び込むことになる。 そこで出会ったのが、半二郎の息子・俊介。生まれながらに将来を約束された俊介と、任侠の血を引く喜久雄。正反対の血筋を受け継ぎ、生い立ちも才能も異なる二人だが […]

#Cinema #Colunm
CULTURE
CYCLE CINEMA⑬
『少女は自転車にのって』
女性が自転車に乗れない世界の物語

映画のおもしろいところは、多様な世界を見せてくれることだろう。マフィアの血の歴史を。遠い星で起こった戦争を。殺し屋と少女の出会いを。幕末の侍の生涯を。絶体絶命の兵士を。湖畔で襲いかかる殺戮者との戦いを。国境や時代、時空を越えて、私たちに驚きと感動を与えてくれる。 『少女は自転車にのって』(2012年)はアカデミー賞外国語映画賞やヴェネツィア国際映画祭国際映画祭にノミネートされたサウジアラビア映画(ドイツ共同制作)。監督と脚本を担当したハイファ・アル=マンスールはサウジアラビア初の女性映画監督だ。 物語はサウジアラビアの首都リヤドで始まる。主人公は10歳の少女ワジダだ。頭の回転が速く、小銭を貯める能力に長けている。その彼女の夢は自転車に乗ること。お金を貯めて自転車を買い、男友だちと自転車競走がしたいのだ。これを聞いた人は「はいはい、途上国の貧困映画ね」と思われるかもしれない。違うのだ。彼女の家はおそらく中流家庭より上。素敵なリビングには大型テレビやゲーム機がある。母の仕事の送り迎えにはドライバーがいる(乗り合いだけど)。基本的に生活には困りごとはない。両親は真面目に働き、彼女に愛情を注いでくれる。お金に困っていないのに、なぜ自転車を買えないのか。それは、女の子が自転車に乗ってはいけないから。 私たちの常識から考えると驚きの女性差別が劇中に登場する。学校でも大きな声で話してはいけない(男性に聞かれてはいけない)。顔や体のラインがわからないようヒジャブなどで覆わなくてはならない。婚姻前の年頃の男女が外で会ってはならない。ラジオでロックを聴いてはいけない(これは女性だからというわけでは […]

#Cinema #Colunm
CULTURE
CYCLE CINEMA③
『明日に向かって撃て!』 悲劇前、自転車に乗る軽やかな時間

時折、素晴らしい映画の邦訳に出合う。例えば『An Officer and A Gentleman』(将校と紳士)は『愛と青春の旅立ち』。若さと愛が溢れている。観たいじゃないですか。『THE BODY』(死体)は『スタンド・バイ・ミー』。「死体の時のリバー・フェニックスは大スターの片鱗があったよね」なんて言わなくてよかった。挿入歌であるベン・E・キングの名曲から取った良いタイトル。

#Column #Cinema