CYCLE CINEMA⑳
『リンダ リンダ リンダ』 日常を象徴する自転車

時代劇、SF、ホラー、アニメ。映画にはさまざまなジャンルがある。どれほど映画好きでも、「これは自分には関係ない」と、いつの間にか距離を置いてしまうジャンルがひとつやふたつはあるのではないだろうか。僕にとって、それが青春映画だった。

『リンダ リンダ リンダ』(2005年)を観に行った理由は、ペ・ドゥナが気になっていたからか、それともザ・ブルーハーツの楽曲に惹かれたからだったか。はっきりとは覚えていない。ただ、「自分のような異物が混ざってもいいのだろうか」と少し身を縮めながら映画館へ向かったことだけはよく覚えている。しかし場内には、ブルーハーツ世代のおじさん、韓国映画ファン、青春映画好きが入り混じり、思っていた以上に幅広い客層が集まっていた。

舞台は、とある地方都市の高校(撮影は群馬県前橋市と高崎市で行われた)。文化祭を目前に控えた軽音楽部の女子バンドは、ギタリストの骨折とボーカルの脱退で立ちゆかなくなる。残されたメンバーは成り行きから韓国人留学生ソンを新しいボーカルに迎え、文化祭最終日のステージを目指す。演奏するのは、タイトルにもなったザ・ブルーハーツの楽曲だ。

ストーリーだけを追えば、驚くような展開はない。「最後はブルーハーツで盛り上がって、青春ハッピーエンド!」と予想できるし、おおむねその通りに物語は進む。しかし、韓国人留学生ソンを演じるペ・ドゥナの存在が、この作品を単なる青春映画にはしていない。
ソンはまだ日本語をうまく理解できない。わずかな単語と直感だけで会話を成り立たせていく。登場して間もなく、香椎由宇演じる恵から「バンド、やらない?」と聞かれたソンは、反射的に「はい」と答える。だが、その「はい」は、深い意味も理解もないまま、なんとなく口から出ただけの「はい」なのだ。会話はどこか噛み合わず、妙な間が生まれる。この「間」がいい。

高校の軽音楽部は、ただ好きだから音を出している。演奏を極めたところで、甲子園のようなゴールがあるわけではない。何かの目的や見返りのためではなく、ただ音楽が好きだから集まる。その無目的でピュアな空気に、ソンの「下手な日本語」が不思議なくらいよく馴染んでいる。

物語は、高校生たちが文化祭までの数日間、音楽と向き合う姿を淡々と追っていく。夜の学校で、メンバーのひとりが「演奏なんて一瞬で終わっちゃう。それより、練習したり、バンド名を決めたりしている、こういう時間のほうが大切なんじゃないかな」とつぶやく。この映画が描いているのは、文化祭そのものではない。そこへたどり着くまでの、ごくありふれた日常だ。そして、自転車である。

怪我でバンドを離れた萠(湯川潮音)が、恵の家を訪ねる場面がある。先に着いて待っていた萠のもとへ、恵が遅れて自転車で帰ってくる。普段はバス通学なので、近所のコンビニにでも行っていたのだろう。少しだらしないジャージ姿が実にリアルだ。ママチャリが、地方都市に暮らす高校生の生活圏をそのまま映している。

この映画に、風を切って疾走するような自転車のシーンはない。あるのは、日常の道具としての自転車だ。朝の駐輪場に何気なく並ぶ、かつて僕たちの隣にあったような自転車。これがバイクでもスケートボードでも、この空気は生まれない。文化祭という祭りの、その手前に広がる日常。その風景には、自転車がよく似合う。

渦中にいるときには永遠に続くように思えた時間も、過ぎてしまえばほんの一瞬だ。同じ回転を繰り返しながら、それでも少しずつ前へ進んでいく。自転車の車輪は、あの頃の時間とよく似ている。この映画を象徴するのは、特別な自転車ではない。どこにでもあった、ごく普通のママチャリだ。だからこそ、祭りの手前に広がる、かけがえのない日常を静かに映し出している。


Text_井上英樹/Hideki Inoue


🎬CYCLE CINEMA STORAGE🎬
#01 “自転車泥棒”
#02 “プロジェクトA”
#03 “明日に向かって撃て!”
#04 “少年と自転車”
#05 “居酒屋兆治”
#06 “ニュー・シネマ・パラダイス”
#07 “キッズ リターン”
#08 “PERFECT DAYS”
#09 “クレイマー、クレイマー”
#10 “E.T.”
#11 “ガチ星”
#12 “イエスタデイ”
#13 “少女は自転車にのって”
#14 “関心領域”
#15 “アンゼルム”
#16 “男はつらいよ”
#17 “国宝”
#18 “レッド・ロケット”
#19 “イル・ポスティーノ”
#20 “リンダ リンダ リンダ”

Profile

Text_井上英樹/Hideki Inoue
兵庫県尼崎市出身。ライター、編集者。趣味は温浴とスキーと釣り。縁はないけど勝手に滋賀県研究を行っている。1カ所に留まる釣りではなく、積極的に足を使って移動する釣りのスタイル「ランガン」(RUN&GUN)が好み。このスタイルに自転車を用いようと、自転車を運搬する為に車を購入した(本末転倒)。

Illusutration_Michiharu Saotome

CULTURE
CYCLE CINEMA⑰
『国宝』
美しさと恐ろしさの間で

ある歌舞伎役者をインタビューする機会があった。指定された茶室で正座をして窓から外を見ていると、着物姿の人が現れ空を仰ぎ見た。さながら映画のような風景だった。まもなくして茶室に役者が現れた。ふと、私を見て「正座、慣れてないでしょう。どうぞ、足をお崩しになって」と優しく言った。 人間国宝でもあるその役者は、歌舞伎に詳しくない私の質問のひとつひとつに時間をかけ、丁寧に答えてくれた。人間国宝とは、国の「重要無形文化財」に指定された伝統芸能や伝統工芸の分野で、「わざ(技能)」を最高度に体得・実践している個人を指す通称だ。歌舞伎の世界に血筋を持たず、外から歌舞伎の世界に入ったこの役者の苦労はいかほどのものだっただろう。取材は数時間だったけれど、その僅かな時間でも佇まいの美しさや言葉遣い、歌舞伎に対する情熱が伝わってきた。それと同時に、ここに至るまでの努力や時間を想像するだけで恐ろしくなった。この人の美しさは同時に恐ろしさも内包していると感じた。 『国宝』は吉田修一による同名小説の映画化。血筋が支配する歌舞伎の世界に飛び込んだ一人の青年の物語だ。舞台は1960年代の長崎から始まる。任侠の一門に生まれた喜久雄は美しい顔を持つ少年だった。しかし、抗争によって父を亡くし、15歳にして天涯孤独となってしまう。そんな彼の天性の才能を見抜いたのが、上方歌舞伎の名門の当主・花井半二郎。半二郎は喜久雄を引き取り、喜久雄は歌舞伎の世界へ飛び込むことになる。 そこで出会ったのが、半二郎の息子・俊介。生まれながらに将来を約束された俊介と、任侠の血を引く喜久雄。正反対の血筋を受け継ぎ、生い立ちも才能も異なる二人だが […]

#Cinema #Colunm
CULTURE
CYCLE CINEMA⑮
『アンゼルム』
巨大「工場」を自転車で行くアーティスト

画家、アーティストのスタジオと聞き、想像するイメージがあると思う。混沌としたデスクには絵筆や絵の具が乱雑に並ぶ。日差しが降り注ぐ大きな窓。その先には美しい庭があるかもしれない。ドイツの現代美術の巨匠アンゼルム・キーファーを描いた映画『アンゼルム』(2023年)はドキュメンタリー作品のスタイルを取る。しかし、監督はヴィム・ベンダース。『パリ、テキサス』『ベルリン・天使の詩』『PERFECT DAYS』などで知られる名匠だ。彼の手にかかると、単なる記録映像ではなく、事実とフィクションが絶妙に混じり合う詩的な映像体験へと昇華される。 キーファーはドイツを代表する芸術家だ。彼の扱うテーマもドイツの歴史、ナチス、戦争、ワーグナー、ギリシャ神話、聖書などをテーマに、砂や薬、鉛などを用いた作品が特徴的だ。フライブルク大学で法律を学ぶが、美術に転じ、1969年にカールスルー工芸術アカデミーに入学。1970年にはデュッセルドルフ芸術アカデミーで絵画を学び、ヨーゼフ・ボイスらに師事した。現在では、現代美術における最重要作家の一人として数えられている。 映画冒頭、キーファーのスタジオが登場する。フランス南部の町・バルジャックにあるスタジオで元は繊維工場だったそうだ。このスケールが大きい。制作で使う素材や道具は専用棚に収納されており、作品を運ぶフォークリフトが走り回る。もはや「工場」と呼ぶにふさわしい広大な空間だ。彼の作品は巨大であり、その制作環境もまた圧倒的なスケールを持つ。そんな広大なスタジオの中を彼は自転車で巡る。作品から作品へ。まるで自らの創造の森を探検するかのように、軽やかに移動する姿が印象 […]

#Cinema